平成25年(ワ)第×××××号損害賠償請求事件

 

原 告  池澤直美

 

被 告  天野コグ,天野ベラ

 

 

 

被告ら準備書面(9)

 

 

 

平成28年 5月 6日

 

東京地方裁判所民事第49部合C係 御 中

 

 

 

 

 

                         被告ら訴訟代理人

 

弁護士  山下幸夫

 

 

 

 

 

 被告らは,原告の平成28年1月29日付原告準備書面(5)(以下「原告準備書面(5)」という。)に対して,次のとおり認否・反論する(なお,見出しの通し番号の付け方に一貫性がないが,そのまま認否・反論する)。

 

 

 

第1  はじめに

 

  原告は,被告らが本人訴訟であった時期には主張していなかった被告らの本 件各記事についての事実関係について縷々主張し,そのほとんど全てについて,真実ではないし,真実相当性も認められないと主張しているが,いずれも争う。

 

2 被告らが訴訟代理人に委任して口頭弁論が再開された後になって,本件各記事の事実関係について取り沙汰し,原告にとって都合の悪い内容の全てを否認するようになったものであり,こうした原告の訴訟態度は,民事訴訟における当事者の信義誠実義務に反するものと言わなければならない。

 

3 とりわけ,2006年から公私に亘り被告ベラが一貫して主張してきているところの,原告との電話において,原告が被告ベラの父を偲ぶ会で「私が話をしてあげましょうか」と被告ベラに持ちかけ,「当日は必ず参加します」と宣言した事実,訴外公子氏が原告に手紙を書き,被告ベラの父を偲ぶ会の翌朝その手紙を被告ベラが投函した事実,被告ベラが訴外公子氏の急死を関係者に葉書(乙40)で知らせたのが年明けであった事実などの事実関係について,原告準備書面(5)を提出するまで原告は等閑視してきていた。

 

4 被告ベラが,平成17年(2005年)から公開し,原告自身も平成18年(2006年)11月23日からその存在について知るようになった(甲49・15頁)と陳述する「天野ベラのホームページ」における各記事についての事実関係についても,平成21年の別件訴訟の際など,否認する機会が何度も与えられていたにもかかわらず,原告準備書面(5)を提出するまで,一切否認したことがなかった。

 

  しかるに,被告ベラが公開してから9年以上経過した後になって,突然,事実関係を否認するようになったものである。

 

5 実際には,被告ベラは,原告自身から様々な事実関係を直接聞かされており,それに基づいて事実関係を主張していたところ,原告自身が被告ベラに語った都合の悪い内容や被告ベラに知られた都合の悪い言動の全てを事実無根であるとして,被告ベラが公開してから9年以上経過した後になって否認し始めたものである。

 

6 原告は,原告のブログ「ナオミライクな日々」における平成2年(2011年)10月22日付の「一位じゃなきゃダメなんです。」と題する記事(乙99の369)において,「この3年間のブログはまるで,私という人間を自分で知るための辞書のようにも思えます。」と述べられているところであり,原告のブログには,原告自身を知るための様々な事実が記載されていることを,原告自身も認めているのである。

 

  被告らは,被告ベラが,直接に原告から聞いた事実や,原告が自らのブログ記事で自ら明らかにしている事実を前提として,その記事に対する論評をしてきたものであり,以下に述べるように,その前提事実は真実か,真実と信ずるについて相当な理由がある。

 

 

 

第2  同「1 原告の両親,家族について」について

 

 (1)について

 

(1)  認 否

 

  同第1段落について

 

  認める。

 

  同第2段落について

 

  不知ないし争う。

 

  同第3段落について

 

  否認ないし争う。

 

(2)  被告らの反論

 

  被告らは,原告自身が書いた以下のブログ記事から読み取れる事実を前提事実として,原告が両親の介護をしていないとの論評をしたものであり,その前提事実は真実か,真実と信ずるにつき相当な理由がある。

 

  フジサンケイビジネスアイの原告のブログ「Shall We Afresh?」における平成19年(2007年)3月22日の記事において,旅行中の妹に代わって原告が実家に行き,期間限定で実母の面倒を看た時の内容が記載されていた事実,ほんの短い期間であっても原告が母親に向かって「声を荒げた」と述べており(甲12の14,乙126・別紙2の1甲12の14),原告が実母と一緒に過ごす時間を好んでいなかったと認められる。

 

  原告のブログにおける「パソコンから離れて」と題する記事(乙4の66。その後,全文削除されている。)において,大切な人が心臓発作を起こして今日が山場と言われた原告が,病室を訪れた時のいきさつについて「全てのアポは昨夜のうちにキャンセルしたり,事情を話して他の方々に変わっていただきました。たまっている仕事はあっても病人の枕元でパソコンを叩くわけにはいきません。」,「観念して,手を離すことの許される時間があれば,持って行った本をひたすら読んでいました。」「病人に目を配りながらの落ち着かない読書でしたが」などと述べ,原告が「今日が山場と言われた病人」と述べられた実母よりも,キャンセルした仕事や読書を重視していることが読み取れる(乙120・7頁)。

 

ウ 原告が東京に滞在している時に,できる限り毎週末に実母を訪問していたとすれば,原告は他の記事を書かずに,訪問したグループホームでの出来事や内部の事情について,毎週のように必ず記事を書き,訪問した様子が写真とともにブログに詳細に述べられて掲載され,公開されていたと思われる。

 

  しかるに,実母が住むグループホームを原告が訪問した事実が述べられている記事は,①平成21年(2009年)9月12日付の「優しく不思議な共同生活の場」と題する記事(乙99の232),②平成21年3月10日付の「哀しみ,そして,ありがたさ」と題する記事(乙4の71・その後,一部修正し削除されている。),③同年4月5日付の「桜センチメンタルジャーニー」と題する記事(乙99の299)の僅か3件である。

 

  原告は,長女でありながら,両親どちらの死に目にも遭わなかったことが認められる。

 

  原告のブログ「ナオミライクな日々」における「ルフトハンザつれづれ~ミュンヘン空港にて」と題する記事(乙99の316・乙112の3・資料第224号)において,原告は,「父は,私たちが香港の空港に止まった頃に息を引き取りました。53歳でした。孫に会える日を楽しみにしていた父は,危篤に陥りながらも,私がギリシャから送った娘の写真を手放さなかったといいます。」と述べている。

 

  ギリシャ在住で実父の看病も出来ず死をも看取れなかった事実を原告が実際に後悔していたとすれば,少なくとも実母の死は看取ろうと考えて,努めて東京を離れずに,近くで過ごし,出来る限り訪問し,看病をし,最期を看取るべきであったと考えられるが,実際には,原告はそのような行動はとっていないことが認められる。

 

  原告のブログ「ナオミライクな日々」における「訃報」と題する記事(乙99の107・2009年10月9日付)において,原告は,「そんな美しい秋の日の夜,10月8日午後7時,母が亡くなりました。83歳でした。」と述べている。また,同ブログにおける「満月にいざなわれて~どうぞ皆様,良いお年を!」と題する記事(乙99の134・2009年12月31日付)において,原告は,「長い間,身につけてきた腕時計が2009年10月8日,午後7時になろうとする直前で止まりました。私が祈るような思いで,横浜・横須賀道路をひた走っている時でした。そして,後になってわかったのですが,止まった時計が指し示していたのは,母が逝った時でした。」と述べている。同ブログにおける「ゴチャゴチャの机の上からの思い」と題する記事(乙99の317・2011年7月21日付)において,原告は,「母が逝ってしまった時にも,近くの区民プールの水の中で泣いていました。」と述べている。最近の陳述書において,原告は,「所用で下北沢におり」(甲63・2頁)と述べている。

 

  このように,母親が死亡した時に原告がいた場所について,少なくとも「車中」(乙99の134)と「区民プールの水中」(乙99の317)の2つの説明がされており,判然としない。

 

  原告の陳述書における「私がホームから受けた電話は『すでに亡くなった』という知らせでした。その時,私は所用で下北沢におり,連絡を受けてすぐに横須賀に駆けつけました」(甲63・2頁8行乃至9行目)との陳述は,亡くなったと知ってから横須賀に駆け付けているにもかかわらず,「私が祈るような思いで,横浜・横須賀道路をひた走っている時でした。そして,後になってわかったのですが,止まった時計が指し示していたのは,母が逝った時でした。」(乙99の134)とブログ記事に述べられていた事実とは自己矛盾しており,信用することができない。

 

  実際,原告は,原告の母親が亡くなる直前まで台湾旅行を楽しんでいたことをブログ記事で明らかにしている(乙99の106,同129,同211,100の23乃至同24)。

 

  すなわち,原告のブログ「料理冒険家『池澤ショーエンバウム直美』のグローバルキッチン」における「台湾の朝ごはんは・・最高にヘルシーな豆乳で @ TAIWAN」と題する記事(乙100の24・2009-10-05 08:41:34)において,原告は,「先週1週間は台湾で過ごし,月餅とザボンで中秋節の月を祝い,十六夜は日本でとばかりに,翌朝の昨日(引用者注:2009年10月4日),飛行機で日本に戻ってまいりました。」と述べている。同ブログにおける「ロングフライト後の定番とは・・・@JAPAN」(乙100の23・2009年10月8日09:36)と題する記事に原告が「海外旅行から帰って来た時,皆さんは何が食べたいと思いますか? 『お茶漬けが食べたい』『お寿司が食べたい』『おまんじゅうが食べたい』 友人にこの質問をすると,答えはバラバラ・・・ 韓国やベトナムなんて国は,案外としっかりお野菜を摂る事が出来ますが, 国によっては帰国後に身体が『野菜が食べたいよ~』と訴える時があります」と原告の母親が亡くなる日の朝であっても原告はブログを書いていた事実(甲12の14,乙126・別紙2の1・甲12の14)が認められる。

 

  このように,原告は,意図的に海外で過ごす時間を多く取るようにして,実母の看病や介護ひいては死を看取る行為を自ら避けようとしていたことが認められるのである。

 

 (2)について

 

(1)  認 否

 

ア 同第1段落について

 

   原告を非難しているとの点は否認し,その余は概ね認める

 

  同第2段落について

 

   不知ないし争う。

 

  同第3段落について

 

   否認ないし争う。

 

(2)  被告らの反論

 

  被告らは,原告の夫の病状,渡米・来日した経緯について,原告自身が書いた以下のブログ記事から読み取れる事実を前提事実として論評をしたものであり,その前提事実は真実か,真実と信ずるにつき相当な理由がある。

 

  原告の夫は,原告に従順であり,おつかい(乙112の1・資料第63号,乙100の125,乙99の85,乙100の18)においても,栗剥きにおいても(乙100の130),地下室への蟄居後の出版物に載せるための写真に使った冷えきった食事についても(乙99の25),来客に出したディナーの残り物をあたためるだけの食事についても(乙99の313),ひとりで開ける缶詰の食事についても(乙100の68),何につけ常に原告に言われるがまま従順に従ってきていた事実が原告のブログ記事に多数述べられており,そこから,原告が主導権を握ってきたことが認められる。

 

  そうであるならば,原告の夫が米国への移送を強く希望したとは考えられない。

 

  なお,原告は原告の夫が国際基督教大学に依頼されて夏休みの間にGLSという講義をする予定であったと述べているが(甲63・3頁),そのような事実は原告のブログには一切公開されていない。

 

  仮に,実際にそうした予定があったとすれば,原告の夫は,なおさら日本にとどまり体調の回復を待ったと考えられるであり,教授職を長く続けて来たプロフェッショナルな原告の夫の方から,日本において予定されている講義を前にして米国への移送を強く希望するとは考えられない。

 

  原告は,「原告の夫は手術をせずに済み,回復も早かった。」(原告準備書面(5)2頁14行目以下)と主張しているが,腸閉塞が死に至る重篤な病であり,発症当時の原告の夫の年齢が当時73歳直前(乙104の65・1939年8月15日生れ)であった事実からすれば,退院後も当分の間静養が不可欠であり,体調管理とその日の体調に配慮したうえでの世話や食事づくりが必要であり,その役割を担うべき立場にあったの原告であったことは当然である。

 

  原告は,「原告の夫が,原告に対し,様々な手続き等をしてほしいと依頼した」(同2頁16行目以下)とも主張しているが,様々な手続き等については原告のブログにおいては全く述べられていない。重病で入院していた70歳を過ぎた夫の看病以上にとり急ぎ優先すべき手続が日本にあったとは考えにくいのであり,それを理由に原告が日本に帰国したとは考えられない。

 

  原告の「月の下で花と木に囲まれて,ビールが飲めれば,,,,,」と題するブログ記事において,夫が「人間ドックに入るとなれば,通訳代わりにずっと付き添わねばなりません。」(乙99の93・2011年8月4日付)と述べられており,原告の後夫を東京で入院させると,原告が通訳代わりにずっと付き添わねばならなくなることを恐れた原告が,原告の夫に強く移送を勧めたと考えるのは合理的である。

 

  原告の「インディアナ点描3つのビックリ付き。」と題するブログ記事において,「インフルエンザの予防接種の進め(勧めの誤記と認められる。)です。夫はすぐさま申込み,簡単に個人情報を書き込み,あっと言う間にファーマシーの片隅でこんな具合。しかもメディケアという保険制度と年齢のおかげで無料です。」(乙99の339)と述べている。すなわち,原告の夫がメディケアという保険制度の対象者であり,米国の薬局において,無料で予防接種を受けられること,健康保険USAComにおいて「メディケアとは,高齢者と障害者のための医療保険で,国が運営するプログラムです。65歳になると,メディケア加入資格を得られます。<メディケア受給資格者>65才以上で,アメリカ居住5年以上の人(アメリカ市民権または永住権保持者)メディケアには下記の4つのパートがあります。パートA:入院費用をカバーします。パートAは,ソーシャルセキュリティー受給資格者(10年以上の納税者)か,政府機関で働き,規定のメディケアTAXを支った人などには無料です。」(乙104の235)と述べられていることからすれば,原告の夫が日本で入院すると高額の費用が発生するため,原告が強く勧めて米国に移送したと考えるのが合理的である。

 

  原告は,義理の娘であるセシリア氏に,重病で入院し退院して僅か4日目の夫の世話を任せて(乙100の40),築地での会食や花火大会の鑑賞などの目的で日本に帰国したと認められる。

 

  すなわち,原告は,自らの「If there is no other option~ほかに選択肢がなければ」と題するブログ記事で,「会いたい人たちもいます。」と述べている(乙99の108)。

 

   原告が食関係の打ち合わせと称して築地の鮨店で会食し「料理長は,まるで映画に出てくるようなきりりとしたいい男。職人さん風の厳しい表情が,ちょっとゆるむとまたいい男。男前の料理長が,こんなことを始めました。」と述べて,板長の実名と顔写真を2枚掲載して公開している(乙5の10・「江戸時代のお鮨」〔その後,一部削除し修正されている。〕)。

 

  その翌日も「さてさて『江戸時代』の男前の料理長,Mさんがカウンターの向こう側で,真剣な顔で始めたこととは?興味津々,つい身を乗り出して,,,そんなギャラリーにも,Mさんが丁寧に説明をしながらお仕事を続けます。やっぱり食べたい,M料理長の蟹です。来年はぜひ!」と述べられて,M料理長の顔写真を掲載している(乙5の11・「やっぱりブルークラブよりは日本の蟹が,,,」〔その後,一部削除し修正されている。〕)。

 

  さらに,原告が2年振りに開催された東京湾花火祭を鑑賞するために原告の次女である訴外WMのマンションで開かれた持ち寄りパーティにも参加していることが認められる(乙99の243・「幸せ瞬間首飾り~花火大会の夜」)。

 

  原告が夫を移送するにあたり,「家族ネットワーク」と称して原告の娘らや原告の次女の夫の母親に同行すべきかと相談し,全員から「行くべき」と告げられない限り重病の夫の移送に同行する気もなかったことと認められる(乙99の95)。

 

  被告らは,以上の前提事実から,移送のため渡米したのは,原告の夫の希望ではなく,原告の考えであり,帰国したのは,原告の都合によるものと論評したものであり,その前提事実は真実か,真実と信ずるにつき相当な理由がある。

 

  同「(3) 成城の家について」について

 

(1)  認 否

 

  同第1段落について

 

  被告ベラが夫に成城の家の建築費用を拠出させたと述べたことは認め,その余は否認する。

 

  同第2段落について

 

()  同第1文について

 

  不知ないし争う。

 

()  同第2文について

 

  認める。

 

()  同第3文について

 

  否認ないし争う。

 

  同第3段落について

 

  否認ないし争う。

 

(2)  被告らの反論

 

  原告が被告ベラに対して,「成城の家がなくなってしまったものですから」(甲31)と原告自身が知らせて来たことは事実である。

 

  また,被告らは登記簿謄本を取得し,原告と夫の持分が2分の1ずつである事実を知っており,「家屋は現存しており,土地についても30分の8は貴殿の名義となっております。」と,原告に対してメールで知らせたことがある(甲34・3頁)。

 

  また,原告のブログ「ナオミライクな日々」における「私のスピリチュアルスポット」と題する記事(乙99の78)において,原告は,「オックスフォード大学で教えていた夫が,かの地を気に入って,庭が小川につながった家を買ったのは,私と結婚する前のことでした。彼はここを終の棲家とするつもりだったのでしょう。」,「私たちはこの家にいつか住む夢をあきらめて,家具ごと売りに出すことに決めました。一枚一枚集めた絵,ひとつひとつ吟味した家具や絨毯やランプ。夫には多くの未練があったことと思います。全てを他人の手に委ねる決意をした時に,ひとつだけ,どうしても残しておきたくない物がありました。そして,私は,その物を大事に毛布にくるんで,抱きながら飛行機に乗ったのです。それがブッダ様でした。そして,今の私たちのこの家は,初めからブッダ様の居場所を決めて設計されました。」などと,原告自らがその取得の経緯をブログにおいて公開しており,終の棲家とするつもりでイギリスに家を買っていた原告の夫が「日本に家を持つことを希望していた」とは認められない。

 

  被告らは,これらを前提事実として論評をしているものであり,その前提事実は真実か,真実と信ずるにつき相当な理由がある。

 

  被告ベラが,「金目当て」の打算婚と記載した事実はない。ただ,「夫の肩書目当ての打算婚」(甲8の11〔2012年8月13日〕・記事オ)と述べたことはある。

 

  被告ベラが,そのように述べたのは,原告が原告の夫について「世界の名教授」,「世界的権威」であるとか(甲8の11,甲10の11,乙104の63),「国境なき知性」などと述べていること(甲10の8,乙99の236),原告が,原告の夫の肩書によって海外出張先に同行している事実を述べていること(乙4の51,乙99の267,乙100の10),原告が夫との生活を共同生活と述べており,原告のブログにおいて共同生活における不満がしばしば述べられていること(甲3の15,乙99の2,同27,同29),原告が夫との共同生活において超手抜き,手抜き,インスタント料理を頻繁につくり(乙99の25,同27,同129,同313,同314,乙100の17,同29,同77,同84,同86,同88,同89,同114乃至128,乙112の1・資料第63号),来客に出したディナーの残り物をあたためて出しており,原告の夫が「どうせ今晩もまた残り物でしょう?」と(乙99の313),原告が東京に帰国している時に「おそらく家ではたぶん缶詰を開けて食べているのでございましょう」(乙100の68)などと述べていることをそれぞれ前提事実として,「肩書目当ての打算婚」と論評しているものであり,その前提事実は真実か,真実と信ずるにつき相当な理由がある。

 

  同「4 孫の保育について」について

 

(1)  認 否

 

  同第1段落について

 

  概ね認める。

 

  同第2段落について

 

()  同第1文について

 

  不知ないし争う。

 

()  同第2文について

 

  概ね認める。

 

  同第3段落について

 

  否認ないし争う。なお,「受け付けた」は「植え付けた」の誤記と思われる。

 

(2)  被告らの反論

 

ア 原告の「『オバアチャン』になれた一日」と題する記事(乙99の113。その後,全文削除されている。)において,「肝心な時に居ないことが多くて,ちっとも助けにならないばかりか,孫もなかなかなついてくれない私」と述べられている。

 

イ また,原告の「あと一日! 頑張れザウルス,頑張れザウルスママとパパ」と題する記事(乙99の305)において,「食欲全開,好奇心全開,元気いっぱいのザウルス君(当時11ヶ月〔引用者注:原告の孫息子〕)のママ(引用者注:原告の次女である訴外WM)から,『ザウルス ダウン 熱 下痢 嘔吐』という一昔前の電報のようなメールが届いたのが13日,月曜日の夜のことでした。4月から保育園生活をスタートさせたばかり,日一日と母子ともに新しい生活に慣れ始めた矢先のことでした。続いて,深夜,『熱が39.2度まで上がってきたけど,なんとか寝てる。起こして救急に行くべきか迷っています。』そして翌火曜日早朝,『熱一晩下がらず。やっぱり私(引用者注:原告の次女)がお休みとって病院に連れて行きます。』」と述べられて,原告の次女である訴外WMが,会社を休みたくなかったため,原告に息子を看に来てほしいと黙示的に助けを求めるSOSのメールを送信したが原告が対応しなかったため,結局,訴外WMが休みをとったことが認められる。

 

ウ さらに,原告の次女の息子(原告の孫息子)が平成21年4月に孫が発熱した時,原告に何本ものSOSメールを送信して黙示的に面倒を看に来てほしいと伝えたが,「ママ来て」とは明確に伝えなかったことに藉口して原告が駆け付けなかった事実について,「飛んで行ったらいらぬ気を使わせてしまうでしょう。ふだんから面倒を見ているならともかく,小さな孫だって私の顔を見て,緊張したり,興奮したりしてしまうかもしれません。」と原告にとって都合の良い解釈が述べられている(乙99の305)。

 

エ 平成22年7月に原告の次女の息子(原告の孫息子)が発熱した時,「その後に何通かのメールが行き交い,結局わかったことは,孫息子が昨夜39度の熱を出したこと,保育園には連れていけないため,千葉からKさん(もう一人の祖母)が早朝の電車で急ぎ助っ人にやってきたこと」(乙99の113)と述べて,原告の次女が,原告に助けを求めず,原告の次女の夫の母親である義母のKさんに助けを求めていたことが認められる。

 

オ 以上の前提事実から,原告が肝心な時に面倒を見ていないと論評したものであり,その前提事実は真実であるか,真実であると信ずるにつき相当な理由がある。

 

  同「5 次女の夫のご実家とのおつきあい」について

 

(1)  認 否

 

  同第1段落について

 

  概ね認める。

 

  同第2段落について

 

  否認ないし争う。

 

  同第3段落について

 

  否認ないし争う。

 

(2)  被告らの反論

 

ア 原告が正月に合宿と称してKさん宅に宿泊し「『こちら母=ワタシ』は,『あちら母=娘のお義母さん』に甘えてまる投げです。」「『あちら母』の指揮のもと,かいがいしく働く娘部隊のそばで,役立たずな『こちら母』はただウロウロ。そして時折つまみ食い。続くは『あちら母』手作りの,それはそれはおいしい日本的おせち料理の数々。いいですねえ,,,,,何をかくそう,ワタシ,イタリア料理より好きです。一人で鉢を抱え込んで食べたいぐらい。」(乙100の101)と述べ,原告自らが次女の夫の実家に丸投げしていると述べている。

 

イ もらい物についても,原告は,「みんなKさんが編んでくれたものです。(不器用な私は編み物なんてとてもできません。)」(乙99の285)と述べている(乙120・24頁)。その他にもKさんからのもらい物について述べられている(乙126・別紙1の10甲11の6)。

 

ウ 原告のブログ「料理冒険家『池澤ショーエンバウム直美』のグローバルキッチン」における「女子力でますます素敵な寿司パーティー@TOKYO」と題する記事(乙100の39)において,原告が,原告の次女の義母に「適当に果物をお願いと言ったら,まあ,なんとこんな豪勢な結果となりました。」,「三越デパートの包装紙の大きな箱で,スイカ,メロン,梨,ブドウ,マスカット,巨峰,トウモロコシと枝豆が,寿司パーティの前日に届き」と報告している(乙120・25頁)。

 

エ 原告の次女である訴外WMのブログ「私,ワーキングマザーですが何か?」における「ザウママ実家のお正月☆」と題する記事(乙103の5)において,原告の手作り料理について,「かなりアブノーマルなメニューです」,「こんなかんじでザウママ実家のお正月はちと変わってます」「ザウママ家はいかれぽんち」と述べている。そして,そのコメント欄において,「私がいかれぽんちなのは実家のせいでした~,私の母,和食いまいち」,「私もしょうゆ味の和食,食べたくなることよ~!でも母の和食はイマイチ」,「うちはお雑煮さえもなかったしね。」などと述べている。

 

  被告らは,これらを前提事実として論評をしたものであり,その前提事実は真実であるか,真実と信ずるにつき相当な理由がある。

 

  同「6 前の夫との婚姻生活のこと」について

 

(1)  同「(1) 成城の家や車」について

 

  認 否

 

()  同第1段落について

 

   否認する。

 

()  同第2段落について

 

 不知ないし争う。

 

()  同第3段落について

 

    否認ないし争う。

 

  被告らの反論

 

  原告は,「被告等は,…建てる家の趣味や車の趣味を押しつけた旨記載している。」(原告準備書面(5)4頁),「前夫に趣味を押しつけた」(同4頁10行目)と主張しているが,事実に反している。

 

  被告ベラは,「世田谷の一軒家もベンツもZ(引用者注:池澤夏樹のこと)が好んで選んだものではあるまい」と述べたに過ぎず(甲9の2,甲12の4),原告はこれを曲解している。

 

(2)  同「(2)  食事作り」について

 

  認 否

 

()  同第1段落について

 

  否認する。     

 

()  同第2段落について

 

  不知ないし争う。

 

()  同第3段落について

 

  否認ないし争う。

 

  被告らの反論

 

  被告らが,「原告が料理を前夫に任せていた」と述べた事実はない,被告らは,原告や原告の次女が書いた()以下のブログ記事から読み取れる事実を前提事実として,「家事や夫の世話などひとりで家にいてしなければならない面倒くさいことが嫌い」(甲8の13),「家事を疎かにしている」(甲8の9),「家事が嫌いで遊びが好きな母」(甲8の14),「家事が中途半ぱ」(甲8の19),「毎日三度三度料理をし続けることは無理なのである」(甲8の21),「普通の和食がつくれない」(甲9の5,同9),「料理も面倒くさい。お弁当づくりも面倒くさい。だから,遠足のお弁当と夕食は,当時の夫であった池澤夏樹氏がつくっていたことが,次女のブログに書かれていた。」(甲9の12),「実は料理をするのが好きではない」(甲10の5)との論評をしたものであり,その前提事実は真実か,真実と信ずるにつき相当な理由がある。

 

()  原告の次女である訴外WMのブログ「私,ワーキングマザーですが何か?」における「ザウママ実家のお正月☆」と題する記事(乙103の5)において,原告の手作り料理について,「かなりアブノーマルなメニューです」,「こんなかんじでザウママ実家のお正月はちと変わってます」,「ザウママ家はいかれぽんち」と述べ,そのコメント欄で,「私がいかれぽんちなのは実家のせいでした~,私の母,和食いまいち」,「私もしょうゆ味の和食,食べたくなることよ~!でも母の和食はイマイチ」,「うちはお雑煮さえもなかったしね。」などと述べている。

 

() 「料理冒険家『池澤ショーエンバウム直美』のグローバルキッチン」における「拡大家族の祝宴 @ JAPAN」と題する記事(乙100の101)において,原告は,「『こちら母=ワタシ』は,『あちら母=娘のお義母さん(引用者注:原告の次女である訴外WMの夫の実母である訴外K氏のこと)』に甘えてまる投げです。『あちら母』の指揮のもと,かいがいしく働く娘部隊のそばで,役立たずな『こちら母』はただウロウロ。そして時折つまみ食い。続くは『あちら母』手作りの,それはそれはおいしい日本的おせち料理の数々。美しい仕上がりのお煮しめ。ホクホクとした里芋,味の染みた干し椎茸,こんにゃく,蓮根,鶏肉に花型人参。いいですねえ,,,,,何をかくそう,ワタシ,イタリア料理より好きです。一人で鉢を抱え込んで食べたいぐらい。牛肉と栗の煮込みです。とろけるように柔らかいお肉と,栗の甘さが最高のコンビネーションです。前日に長い時間をかけて煮込んでくれた『あちら母』,ありがとうございます。こちらは蛸のサラダ。と言ったって,私が作るようなオリーブオイルの地中海風とは大違い。蛸とキュウリとクラゲに,実にいい具合に醤油ベースのドレッシングがからまっています。まだまだありますが,ここはいったんお開きにして,,,,,次はいよいよ,『えっ!』と驚くお雑煮が登場いたします。」と述べている。

 

()  同ブログにおける「ハバを利かす贅沢雑煮 @ JAPAN」と題する記事(乙100の43)において,原告は,「お雑煮やっぱりいるかしら?」と,娘に相談したら,『いらない!あちらのお母さん(引用者注:原告の次女の夫の実母のこと)が毎年おいしいお雑煮を作るから,みんなでそれをいただけばいいよ。ママ(引用者注:原告のこと),どうせあんまり得意じゃないでしょ。』と軽く一蹴されました(笑)。」と述べられている。

 

()  同ブログの「初めてのおせち作り★楽しかった-!」と題する記事(乙103の6)において,「実は手作りのお節,食べたことさえありませ~ん」と述べられている。

 

() 同ブログの「やばい!まだお正月ですが何か?」と題する記事(乙103の23)において,「こんな和食,私の実家では出ないわ」と述べられている。

 

() 同ブログの「ティロピタキアで秋空ピクニック!?」と題する記事(乙103の26)において,代々木公園にピクニックに行った際のエピソードとして,「これが旦那の実家の味よ,うらやましいわ~おいしいわ~」,「ソーセージ,から揚げ,エビフライ こういうの,うらやましかったわ~」「小学生の時のお弁当には,ギリシャ料理が詰め込まれてました」「えぇ,ザウママ実家は相変わらずちょっとヘン」「そういえばザウママ実家のお正月もちょっとヘンだって評判(?)だったわ」などと述べられている。

 

()  原告の次女である訴外WMのブログ「私,ワーキングマザーですが何か?」における「初めての遠足で思い出しちゃった・・・」と題する記事(その後,全文削除されている。http://ameblo.jp/pink-boots/entry-11245734534.html#main)において,「小学校のときのお弁当,パパが作ってくれてね~ 」「帰ってパパに謝ったら,大笑いしてまたディナー作ってくれたなぁ  しかもお弁当とまったく同じメニューだったから,涙が出た」(「初めての遠足で思い出しちゃった・・・」と題する記事)と述べられて,原告の次女である訴外WMのお弁当のみならず夕食をも父親である原告の前の夫である訴外池澤夏樹が作っていたことが認められる。

 

()  原告のブログ「ナオミライクな日々」における平成22年(2010年)12月30日付け「山あり 谷あり」と題する記事(乙4の14)において,原告は,「『行きつけ』という場所があるとしたら,祖師ヶ谷大蔵の『宿場・祖師谷店』(乙112の10・資料第462号)です。『行きつけ』になってから,かれこれ20年近く立つかもしれません。これをお読みの皆様の中にも,『ああ,行った,行った』とか,『池澤に連れて行かれた。』という方々もかなりいらっしゃることと思います。」と述べて,原告がICUに勤務を開始した平成元年(1989年)ころ,つまり,前夫である池澤夏樹が沖縄に移住し●●する1993年(平成5年)以前から「一つ隣の駅」にある大衆居酒屋「宿場・祖師谷店」の常連客であったと述べており(乙120・204頁),原告が夜の食事を作らず仕事帰りに飲酒をして帰宅していたと認められる。

 

()  原告が原告の現在の夫と2人で食事をする時の料理において,手抜き,超手抜き,インスタント料理や残り物を提供していることが認められる(乙99の25,同27,同129,同313,同314,乙100の17,同29,同77,同84,同86,同88,同89,同114乃至128,乙112の1・資料第63号)。

 

()  原告が原告の後夫との食生活について,「『一日三回規則的に!』が理想的な食べ方だとしたら,私たちの食生活はひどいものです。『しっかり食べましょう』という朝もコーヒーだけです。食べると太ると単純に信じ込んでいる頑固なパートナーは昼も食べません。」(乙99の68)と述べられているが,事実に反する。

 

原告のブログ記事において,後夫が海外旅行中には常に原告と外食で昼食を摂っている事実が述べられており,日本でお寿司さんを家に呼んで開いたパーティの時や船上パーティでのランチ,出版記念パーティでのランチ,海外でのパーティにおいて原告の夫が昼食を摂っている事実(乙100の2,同14,同15,同29,同33,同39,同102,同103,111)があり,「雪の国からやって来た友とのランチ」と題する記事(乙112の1・資料第45号)においても「僕はそろそろ君たちの邪魔をしないようにひきあげるからね。」と,書斎に向かった夫を見送ったあとで またまた大盛り上がりの元ガールズトーク時間が過ぎていくのでした。」と述べられて,原告が,来客時だけは「昼も食べません」(乙99の68)と述べられていながら,夫の分もついでのように料理をして食事を用意した写真とともに原告の後夫が食べた事実が掲載されている事実,さらにお昼を食べないことにされている原告の後夫が「お昼にバスティーユに行くのはどう?どうせ今晩もまた残り物でしょう?」と述べられて(乙99の313),原告をランチに誘っている事実もある。したがって,原告が料理をするのが面倒くさいという理由で昼食をつくらないことをもって原告の後夫が食べないと都合よく公開しているだけであり,実際には原告の後夫は昼食を食べることを欲していると考えられるから,原告は料理が好きなのではなく,出された料理を食べるのが好きなのである。この事実については,原告のブログ「料理冒険家『池澤ショーエンバウム直美』のグローバルキッチン」における「それでも賑やか朝ごはん」と題する記事(乙100の61)において,「このメンバー,しょっちゅう一緒にあちこちへ行ってますけれどそのたびに思います。夕食も楽しいけれど,一緒に食べる朝食は格別だなあ,って。だってお夕食なら,別にお泊りしなくたって外のレストランでも食べられますものねえ。沖縄もハワイも河口湖も箱根も小田原も御殿場も,,,たくさんの朝ごはんを一緒にしてきました。」と述べて,原告の夫との朝食はコーヒーだけの原告が,旅行先や原告の次女の夫の両親宅に宿泊した際には朝食を食べていることが述べられている事実から明らかであり,原告が,自分でつくらなければならない朝食は原告の後夫が淹れてくれる珈琲で済ませて食べないが,海外旅行中の滞在先や原告の次女の夫の実家や宿泊先のホテルや旅館で提供された朝食は喜んで食べている事実があり,料理をつくるのは嫌いであると判断することが十分可能である。

 

7 同「7 前夫との離婚について」について

 

(1)  同「(1) 原告の前夫が原告に追いかけてこられないよう沖縄やフランスに移り住んで原告との離婚に漕ぎ着けた旨の記載について」について

 

  認 否

 

()  同第1段落について

 

 a   同第1文について

 

  概ね認める。

 

 b   同第2文及び同第3文について

 

  不知ないし争う。

 

()  同第2段落について

 

  否認ないし争う。

 

  被告らの反論

 

  被告ベラは,「原告の前夫が原告に車で追いかけてこられないよう」と記載したものであり,「車で」という部分を原告は抜かしている。

 

  被告ベラ宅に,常にいきなり「車で」訪問して来た原告からの脅威から逃れるために,訴外池澤夏樹は,「沖縄」に移住したと考えられるのであり(乙58,乙112の10・資料第460号,乙120・33頁)。「フランス」の後に,やはり本州と地続きでない「北海道」に移住していることが認められるのであり(乙58,乙112の10・資料第460号),「追いかけてこられないよう」との記述は,これらの事実を前提事実とする論評である。

 

  そして,訴外池澤夏樹が,沖縄を,単に「執筆の場所」として選んだとは考えられない。単に執筆の場所を選ぶとすれば,他の著名作家たちと同様に,山の上ホテルのような東京23区内にある閑静なホテルや老舗旅館等を一時的に利用することは充分可能であったと考えられる。しかしながら,沖縄に移住したのは,それ以外の目的,すなわち,現在の池澤夏樹●●●●●●●●と誰にも邪魔されずに●●●●ための逃避の場所として,さらには●●●●●●●●●●●住むための再出発の場所として選んだと考えるのが合理的である(乙120・33頁)。

 

  以上から,この点に関する被告らの記述は論評であり,その前提事実は真実であるか,真実と信ずるにつき相当な理由がある。

 

(2)  同「(2) 前夫の●●について」について

 

  認 否

 

  否認ないし争う。

 

  被告らの反論

 

()  原告は,「私にとって会ったこともない知らない人に対し,嫉妬も憎悪も浮かびようがありませんでした。」と陳述している(甲63・10頁19乃至20行目)。

 

  しかしながら,被告ベラは,原告から,スナック「琥珀」において,原告の前夫である池澤夏樹の●●であった現在の●●●の年齢について「夏樹と暮らしているも,Tちゃん(引用者注:被告ベラのこと)と年齢が同じだもの」(甲12の8)と伝えられ,また,「●●●●●●いる」とも伝えられている(乙120・34頁以下)。

 

  したがって,原告にとって,全く「知らない人」でなかったと考えられる。

 

()  原告は,「私にとって会ったこともない知らない人に対し,嫉妬も憎悪も浮かびようがありませんでした。」と陳述している(甲63・10頁19乃至20行目)。

 

  原告は,前夫である訴外池澤夏樹の沖縄の電話番号調査について,「池澤の●●問題で苦悶していた時,確かに私は,何とか池澤と●●(現在の●●)が住む鎌倉の家の住所を知りたいと思いました。そこで,日ごろから電話番号さえあれば住所をつきとめられると豪語していたベラさんに助けを求めました。」と陳述している(甲49・16乃至17頁。なお,「鎌倉」は「沖縄」〔乙58〕の誤りであり,「電話番号から住所」というのは「住所から電話番号」の誤りである。さらに,被告ベラがそうした発言をしていた事実はない。)。

 

  このように,当時,原告が,何とかして,訴外池澤夏樹の連絡先を知りたいと躍起になっていた事実からも,原告が「知らない人に対し,嫉妬も憎悪も浮かびようがありません」との陳述が信用できないことは明らかである。

 

  また,原告が会ったこともない人だからこそ,妄想を膨らませて,嫉妬や憎悪を募らせていたと考えられるのであり,嫉妬も憎悪も浮かびようがないとの原告の主張こそ,信用できるものではない。

 

()  原告は,「仮に未知の女性への嫉妬があったとしても,普通の人はそうした負の感情をやすやすと第三者にはかたらないものではないでしょうか。」と陳述している(甲63・10頁22乃至24行目)。

 

  しかしながら,原告は,相談と称しては被告ベラ母子の同情を買うために,家を出て戻らない原告の前の夫の●●が訴外池澤夏樹と一回り以上も歳が離れている原告より若い●●であり,被告ベラとその●●が同い年であることを告げ,その後,さらに「原告との離婚成立前に,その●●との間に●●●●●まで●●ていた」と告げている。

 

  このように,夫婦の事情であり,訴外池澤夏樹と未知の女性との●●●●●●ついて,第三者である訴外公子や被告ベラを巻きこんで負の感情をやすやすと語っていたのである。

 

  さらに,原告は,「やったことってやり返されるものね……私も夏樹が●●に就いている●●●●から夏樹を●●●のだもの……」と被告ベラに対して話しており(甲2の15,甲7の8,甲12の11),被告ベラが見聞きした原告のこうした言動には心底悔しさが感じられるものであり,それは取りも直さず嫉妬であり憎悪であると考えられるのである。

 

(3)  同「(3) 前夫の住所調査について」について

 

  認 否

 

()  同第1段落について

 

   概ね認める。

 

()  同第2段落について

 

 a   同第1文及び同第2文について

 

   いずれも否認する。

 

 b   同第3文及び同第4文について

 

             いずれも否認ないし争う。

 

  被告らの反論

 

()  原告は,「原告は住所調査ができると被告ベラに言われた」と主張しているが(原告準備書面(5)5頁),被告ベラが原告に対して,住所調査ができると述べた事実はない。

 

  被告ベラは,そのような調査が可能と思われる能力のある友人を紹介したに過ぎない。

 

  そして,正しくは,住所から電話番号を調べてもらったということであり,そのことは,前回訴訟の訴状(甲28・8頁)において正確に述べられている。

 

    なお,被告ベラの当時の友人であった訴外EKが電話番号を調査してくれ,沖縄の訴外池澤夏樹宅の電話番号を入手した原告は,長女である訴外池澤春菜に依頼して,訴外池澤夏樹に電話して帝国ホテルで面談し,戻って来てくれるよう懇願したが,訴外池澤夏樹からこれを拒否されたことから,ショックで嘔吐してしまったと被告ベラは原告から聞かされている(乙120・34頁)。

 

  なお,訴外池澤夏樹の沖縄の電話番号は,家庭教師の派遣業をしていた訴外EKから(乙104の178),その夫が調査してくれたと伝え聞いている(甲28・8頁)。

 

()  原告に対して30万円を請求した事実はない。訴外EKが,原告に対して実費だけでも請求してみると言って直談判したが,後日,訴外EKは,原告が言葉巧みに逃げられたと怒っていたことを被告ベラは聞いている。この点についても,原告の陳述は全く事実に反している。

 

  このことを,被告ベラは,「K子は大学の後輩であるN美に直接電話をかけて結果を知らせるとともに,ビジネスライクにいくばくかの謝礼を所望したという。しかし,結局はN美に説きふせられて,結果だけは与えながらも一円だに支払ってもらえなかったと怒っていた。当時K子はN美の印象を『育ちが悪くて嘘つきね,あの女』と語っていた。」と記載したのであり(甲12の11),その前提事実は真実であるか,真実と信ずるにつき相当な理由がある。

 

 

 

第3  同「第2 天野家との交流について」について

 

  同1について

 

(1)  認 否

 

  同第1段落について

 

  概ね認める。

 

  同第2段落について

 

  いずれも否認する。

 

ウ 同第3段落について

 

  否認ないし争う。

 

(2)  被告らの反論

 

  被告ベラの亡父を偲ぶ会について,その形式を問い合わせる電話が原告からあり,「話をしてあげましょうか」と持ちかけられたこと,また,「当日は必ず参加します」と述べられたことについては,既に平成25年7月11日付被告準備書面(1)において,被告らは,「原告は,偲ぶ会の形式を被告ベラに事前に電話をかけて尋ねており,『話をしてあげましょうか』と自ら名乗り出たうえで,『必ず参加します』と伝えてきた。ところが,弔辞を述べる人々の話が長引き,時間の関係上,原告に発言の機会が与えられなかった。すると,原告は,エレベーター前に立っていた公子氏と被告ベラの前に大きな靴音とともに現れ,言葉もかけずに睨みつけるような形相を見せるが早いか,そのまま立ち去った事実がある(乙39・記事「ハイヒールの音」)。」(同65乃至66頁,180乃至181頁も同様である。)と主張したが,原告は,これに対して,平成25年9月11日付原告準備書面(1)において「原告が被告ベラの父の偲ぶ会で怒った顔を見せて立ち去ったなどという虚偽の事実や」(同12頁11乃至12行目)と主張するにとどまり,原告の平成25年11月7日付陳述書(甲49)においても,この点を否認する陳述は一切なされておらず,原告準備書面(5)に至るまで,これらを否認していなかった。

 

  したがって,原告準備書面(5)において,「そもそも原告が当該葬儀の席でお話をしたいと申し出た事実自体がない。」(同6頁9~10行目)との原告の主張はそれまでの認否を何の合理的説明もなく変遷させるものであり,到底,信用することはできない。

 

イ 実際には,原告から,「当日は必ず参加します」と伝えられ,被告ベラが原告から被告ベラ宅に届いていたバスケットの供花をタクシーで会場まで運んでいる。

 

  そして,会場の最前列に原告の供花を置き(乙112の9・資料第410号),原告に話をしてもらう予定で司会進行係と会場係の担当者に原告の名前と所属と役職を伝えていた。

 

  原告が会場係からの誘導に従って出やすい場所の椅子に座っている写真(乙112の6・資料第400号)も存在しており,時間がなかったため原告がご来賓のご紹介としてアナウンスされて他の参列客にさきがけて献花を済ました事実(乙120,乙122)についても何度も主張してきたところである。

 

  さらに,訴外公子からの手紙についても,被告ベラが平成18年(2006年)10月に出した原告への手紙(甲17)からエッセイ教室に提出した作品(乙39),前回訴訟の「訴状」(甲28・9頁),原告への電子メール(甲32・2頁),天野ベラのブログ記事(甲3の26)など,これまで,被告ベラが公私に亘って一貫して述べているのであり,それはまさしく真実である。

 

   これに反する原告の主張は全く事実に反している。

 

  被告ベラの実母の原告宛ての手紙に関する原告の主張は変遷している。

 

  すなわち,前回訴訟の訴状に対して,原告は,「原告の実母から手紙がきたことについては,現在は記憶にない」と曖昧な答弁をしていたのであり(乙29・4頁10行目),その主張に大きな変遷がある。平成21年には「記憶にない」と答弁していながら,それからさらに7年が経過した平成28年になって「受領していない」と主張するのは不自然かつ不合理である。

 

  天野一家と疎遠になっていった時期についても,原告の主張には変遷がある。

 

  すなわち,天野一家と疎遠になっていった時期を『琥珀』に勤務していた時期であったと主張して「平成11年から」(甲29・前回訴訟判決における争いのない事実)としたのに,「平成7年ころまでは両家の交流は続いていたが,その後次第に途絶えていった。」(訴状24頁),『琥珀』勤務は平成7年2月ころから半年ほどであり,それ以降被告ベラとの交流がなくなっていったとの原告の記憶に誤りはない」(原告準備書面(1)13頁)と主張の変遷を重ねたうえ,原告の陳述書においては,「やはり私の離婚と共に交流は少なくなっていきました」と陳述して,池澤夏樹と離婚したとされる「平成11年7月以降」(甲49・13頁21行目)から次第に疎遠になったと陳述していた。

 

  さらに,最新の陳述書においては,「1999年12月19日に公子氏から電話を受けたが,両者にわだかまりなどは全くなかった」と陳述しており(甲63・6頁12~13行目),ここからは,その頃は天野家とは疎遠ではなかったこととなり,没交渉(甲72・4頁)でもなかったということになり,ここでも変遷が認められる。

 

  このように変遷を重ねる原告の主張・陳述は,到底,信用することはできないと言わなければならない。

 

  よって,この点に関する原告の主張には理由がない。

 

  同「2 原告が天野家にたかったという被告等の主張について」について

 

(1)  認 否

 

  同第1段落について

 

  概ね認める。

 

  同第2段落について

 

  いずれも否認する。

 

  同第3段落について

 

  否認する。

 

  同第4段落について

 

  否認ないし争う。

 

(2)  被告らの反論

 

  原告は,「原告が天野家から金銭的援助(贈与や貸借)を受けたことがないのはもちろん,甲第63号証のとおり,一方的にごちそうになったり,世話になったりしたという事実はない。」と主張している(原告準備書面(5)6頁)。

 

  しかしながら,平成19年(2007年)5月12日付の「カウンターのすすめ」と題する記事において,原告は,「年を重ねてようやく,お金のためでない仕事が細々とできるようになりましたが,昔は随分と苦労をしました。」と述べて(乙3の1),以前にお金に苦労していたことを述べている。

 

  平成25年(2013年)11月には,原告は,「池澤夏樹の●●問題で苦悶しており」(甲49・16頁24行目),「経済的に余裕がなかった」(同17頁7乃至8行目)と「正直に経済状態をベラさんに伝える」と陳述していた。

 

  そもそも,原告は,親戚の会合で訴外公子と面識がありながら,前夫である池澤夏樹との●●が開始された「平成5年ころから,原告と公子氏との間で,親戚としての交流が始まった。」(訴状24頁5~6行目)と自認しているのであり,物心両面の援助を求めて,原告が親戚の中でも裕福であった天野家と交流を始めたことは真実である。原告の被告ベラに対する金の無心は,原告が訴外池澤夏樹から●●されて天野家に足を踏み入れるようになってからのことである。被告ベラの父は,「タカリ屋が来てもお金をあげちゃあダメだよ」(甲11の5・陳述書(23))と訴外公子に言って警戒していたことはこの事実を裏付けている(乙120・108頁)。

 

  原告は,「ニューオータニの(バー)「カプリ」で子供の分までたくさん食べて払わせたとか,その後子供たちが騒ぎ出したので,先に帰らせたとか,ごちそうになるためにあえて天野家に財布を置いて出かけたという事実もない。」と主張している(原告準備書面(5)6頁)。

 

  しかしながら,以下に述べるように全く事実に反している。

 

  すなわち,原告は,訴外公子や被告ベラに対して「ご相談したいことがあります」と持ちかけては,「ご相談」の名を借りて他人を外に呼び出して豪華な食事をタダでご馳走になっていたのであり,それは「たかっていた」と評価される行為である(乙120号証・64頁)。

 

 原告の天野家への「ご相談」は,電話であれ,訪問であれ,呼出であれ,常に原告側からのアポなしでの一方的な働きかけであった。

 

 1994年ころから原告は少なくとも月に2~3度は必ず天野家に車で現れており,御飯時には近所の鮨店から出前を取ってあげて,その他の時間には被告ベラが単独で外に連れ出して軽食をご馳走し,子供たちへの手土産を持たせて帰らせていた(乙104の15,同16)。

 

  なお,原告は,「ごちそうになるためにあえて天野家に財布を置いて出かけたという事実もない」と主張している。

 

  しかしながら,被告ベラが,原告のことを,「ごちそうになるためにあえて財布を置いて出かけた」と記載した事実はない。

 

  被告ベラは,「手土産のひとつも持たず,自家用車を走らせて拙宅に来る直美氏とともに最寄駅近くの軽食喫茶に行く時,直美氏は,『また戻って来るからお財布はこちらに置いて行っていいわね』と言って手ぶらで出かけるのでした」と記載しただけである(甲3の7)。

 

  ちなみに,この点についても,原告は,原告準備書面(5)に至るまでは明確に否認したり反論していなかったものである。

 

ウ 原告は,「被告ベラが洋服をくれたことはあったが,原告が欲したものではなく,被告ベラがあげるといって譲らないので,その好意を受け止めたに過ぎない。」と主張している(原告準備書面(5)6頁)。

 

  しかしながら,原告との関係性において被告ベラは常に受け身であり,積極的に「あげるといって譲らない」行為をとったことはなく,原告がお気に入りの服を選んで試着したまま持ち帰る行為をおおらかに許していただけである。

 

  そもそも,いかに被告ベラがおめでたい人物であったとしても,購入して間がなく,一度も外に着て出かけたことのない新品の洋服(乙104の216の写真・左から4番目の青い服を着たのが原告である。)を,被告ベラの方から差し出し,押し付けてまで「あげると言って譲らない」行為をとることは,経験則上ありえない。

 

 なお,原告が,原告の長女と次女のためにタンクトップやセーター類を持ち帰ったこともある(乙120・78~79頁)。

 

  また,原告自らが目立つ色や柄物の服(乙112の10・資料第443号・「粋とはずばり地味であること」)を選んで試着したうえで持ち帰った被告ベラの洋服を,もっぱらスナック「琥珀」や原告の長女の成人式を祝う自宅でのパーティで着用しており,当時の若者ブランドである「ノーベスパジオ」の服で,被告ベラが購入したばかりの,鮮やかなブルーの大きな花柄でデザインも目立つワンピースを着た原告(乙104の216・写真,甲44の10の写真)が,長女の成人式で,長女に晴着を着せている姿が着物の雑誌に掲載されたと言って,その雑誌を原告から被告ベラは見せられたことがある。

 

  平成21年の別件訴訟において,原告は「被告池澤が原告(本訴被告ベラのこと)から何着か洋服をいただいたことがあることは認める」(乙29・4頁1行目)と答弁していたのであり,「いただいた」との敬語を用いて被告ベラから何着も洋服をもらってきた事実を認め,当事者間に争いがない事実であった。

 

  ところが,本件訴訟では,平成21年の別件訴訟から4年も経過してから,「私が拒んでも押し付けてくるのです」(甲49・12頁17行目)とその主張を大きく変遷させており,到底,そのような原告の主張を信用することはできない。

 

3 同「3 原告の出自や生育環境について」について

 

 (1)  認 否

 

  第1段落について

 

  概ね認める。

 

  同第2段落について

 

  否認ないし争う。

 

(2)  被告らの反論

 

ア 原告は,「原告は在日ではない。また,原告には『人肉市場』などというものが何かも分からない。したがって,そのようなことを公子氏に『告白』することもあり得ない。」と主張している(原告準備書面(5)7頁)。

 

  しかしながら,以下に述べるとおり,それは事実に反している。

 

イ まず原告自身が被告ベラに2度に亘り「在日」である事実を告白しており,それは真実であるか,真実であると信じるに足りる相当の理由がある。

 

次に,平成21年5月の前回訴訟において,簡単な認否ですむところ,「原告が在日韓国人であること」が真実であり,当時はまだ原告が被告ベラ母子に原告自ら告白してから日にちが浅かったため,自白した事実が原告の頭をかすめたと思われ,さらに原告には多少なりとも痛むだけの良心があったと思われる。だからこそ当時の原告には,「原告が在日である事実」を裁判所にも被告ベラにも「否認」することが出来なかったのである。ところが本訴を提起して初めて否認するようになったものであり,虚偽の事実を突き通しているに過ぎない。そもそも平成21年の前回訴訟において,被告ベラが,当事者である原告について,「訴状」(甲28)と「陳述書」(乙69)に「原告は在日韓国人・朝鮮人である」と明確に述べて裁判所に提出し公開の原則に則って公開し,閲覧制限も申し出ていなかったうえに,裁判所にも被告ベラにも否認していないのであるから,被告ベラにおいて「原告は在日韓国人・朝鮮人である」との当時からの認識を継続することは当然かつ必然であり,同認識を変更しなければならない必要性も相当性も一切ない事実は明らかである。

 

 また,原告の長女のツイートの前提として「ハングルの話題」が出ていたことがある。

 

    すなわち,「ベラさんは,私の旧姓が『秦』であること,娘がそれについて『渡来人』とツイートしたことを『在日』の根拠に上げているようです。」(甲63・18頁19乃至20行目)について,前記アおよびエで述べました直美氏が在日である根拠に付け加えて,直美氏の長女が「私の母が旧姓秦,でした(ご先祖様が渡来人だったらしい)。」(乙66の10)と公開し,その2分前には,「池澤春菜【アメリカ留学中】@haluna7 でも,新聞記事やラテ欄には,ハングルではなくて,カタカナもしくは漢字で表記されるのでは? ハングルで書いて戴いても,お名前読めないですし…… RT @syoryukou: @haluna7 @kemurome 中国はともかくハングルは間違い様が無いような・・・全部平仮名みたい(略)」と,ツイッターで「ハングル(韓国語)」が話題にのぼっていた,そしてその「ハングル」の話題を受けて,原告の旧姓が「秦」であり,「ご先祖様が渡来人だったらしい」と池澤春菜氏が公開している。渡来人とは在日韓国人のことであるから,原告が在日韓国人であることをカミングアウトしたものであり,「ハングル」から派生したごく自然な流れであった。

 

 「人肉市場」という言葉は,原告がホテルニューオータニのバー「カプリ」において,被告ベラ母子に対して,自らの口から出た言葉である。

 

 そもそも,原告から初めて聞かされた言葉であり,普通であれば知るはずのない言葉である。

 

  「人肉市場」とは,「横須賀に米艦隊が入港すると1万からの水兵が上陸し東京,横浜から女軍が応援にくるが,その人肉市場こそ横須賀の縁日であり盆暮れであった。また3500人の女で,はじめて需要をサバキ切れるものであり,彼女らがいればこそ当市は月に1億の金が落ちるのである。」(乙112の9・資料第426号・「軍港の闇に蠢く女」63頁)と書かれている通り,横須賀において,米国水兵のお相手をする女性たちが自身の身体を売る市場を指している。

 

  当時の昭和27年8月5日とは,原告が2歳4か月のころであり,戦争に敗れた日本が締結したサンフランシスコ平和条約が発効し連合国による占領は終わり,日本国が主権を(乙120・101頁)回復した昭和27年4月28日から3か月経た時期である。

 

  そうであるならば,「人肉市場」という言葉を,軍港のある横須賀生まれである原告が知り得ていたことは何ら不自然ではなく,「原告には『人肉市場』などというものが何かも分からない」(原告準備書面(5)7頁10行目)との主張は事実に反している。

 

エ 「ひとつの国,ひとつの街で住むことができない自分のような者」(甲63・37頁14行目)については,被告ベラが,「元親戚であった原告が純粋な日本人でないことは,周囲から聞き及んではいましたが,原告本人が,在日外国人であることをそれとなく明かしたのは,私が客として行ったXXX町のスナック『琥珀』でのことでした。原告から『私,柳ジョージが大好きなの。』と言われても,どんな人か知らずに私はピンとこないでいました。『あの人と一緒になれば良かったわ』と原告が言い出したので,実際にその人とお付き合いがあったのか,単に憧れていたのかはわかりませんが,『私と同じ血が流れているのよ』と述懐していました。『私は流浪の民のように,世界を旅することが運命づけられているの。世界を見なければ生きていけないのよ』と自分に酔いしれるヒロインのような口調で話されても返事に困りましたが,後に柳ジョージ氏が在日外国人と噂されていることを知り,発言の意味を深く理解しました。」(乙112の1・資料第60号・13頁・2009年9月24日付)と記載しているとおり,原告は,スナック「琥珀」において,被告ベラに対して。「私は流浪の民のように,世界を旅することが運命づけられているの。世界を見なければ生きていけないのよ」と平成8年(1996年)の時点で話していた。

 

  原告は,「私,柳ジョージが大好きなの。」「あの人と一緒になれば良かったわ」「私と同じ血が流れているのよ」と述べており,被告ベラは,後に中央日報のリストで柳ジョージ氏が在日韓国人であることを知った。

 

  また,原告は,都はるみの歌を愛好していて,「琥珀」で熱唱していた。 さらに,原告のブログに登場した,姜尚中氏,つかこうへい氏,柳ジョージ氏はいずれも在日韓国人である(乙120・214~15頁)。

 

  原告が都はるみに傾倒している理由のひとつに,本名が北村春美さんである都はるみの「父親が在日韓国人」(ウィキペディア・フリー百科事典より)であるということがあり,原告がいうところの「同胞」であった事実が挙げられる(乙120・161頁)。

 

オ 原告は,「私も妹も,明治生まれの祖母が,祖父の死後,基地の町で女だてらに○○組と言う運送会社を立ち上げたことぐらいは,おぼろげに知っていました。それが海軍の将校さんたちに引き立てられて,大きく発展し,人を何人もかかえるまでになりました。当然ながら私の父もその会社の経営に当っていました。ただ,会社がどうして終わってしまったのかまでは知りませんでした。聞きもしなかったのは,子ども心に,遠い昔のことだと思っていたからと同時に,何か聞いてはいけないことのように思えたからでした。」との記事(乙112の1・資料第70号・「徳をつむということ」)を自ら公開している。

 

  ホテルニューオータニのバー「カプリ」で,被告ベラは,原告から,原告の祖父母が「在日」であり,横須賀の「人肉市場」で祖母が稼業を営んでいたとの告白を受けており,この事実については,原告自身が上記のブログ記事で,「遠い昔のこと」「何か聞いてはいけないことのように思えた」と公開していることと符合しており,真実である。

 

 

 

第4  同「第3 原告について」について

 

  同「1 プラティエス即戦力セミナーについて」について

 

(1)  認 否

 

  同第1段落について

 

  認める。

 

  同第2段落について

 

  不知。

 

  同第3段落について

 

  否認ないし争う。

 

(2)  被告らの反論

 

  原告は,「同セミナー(プラティエス即戦力セミナーのこと)は中央大学駿河台記念館で開催されたもので,2005年11月から計14回開催された」と主張している(原告準備書面(5)7頁)。

 

  しかしながら,当時,被告ベラが,リンク先http://www.platies.co.jp/を確認した時には,「開催場所 成城」と書かれており,その後長らく「申し込み受付中」と表示されていた(乙120・139頁)。

 

  しかも,当初は,「プラティエス即戦力セミナー」ではなく,「プラティエス就職相談室」と表示されていた(乙112の10・資料第449号)。

 

  当時,どこの場所において何回開催されたか(甲65)については一切公開されてはおらず,「講師は私のほかに4名のプロフェッショルナルの方々にお願いしました。」(甲63・25頁13乃至14行目)という点についても全く公開されてはいなかった(乙120・140頁)。

 

  したがって,少なくとも,当時公開されている情報を前提事実とすれば,「その前提事実を真実と信ずるに相当な理由があり,それを前提として。それ以来二度と開催しなくなった」と論評することは責任が阻却されるというべきである。

 

  同「2 愛・地球博(愛知万博)について」について

 

(1)  認 否

 

  同第1段落について

 

  概ね認める。

 

  同第2段落について

 

  否認ないし争う。

 

(2)  被告らの反論

 

  原告は,「お金を得るために起業の目的外のことに手を出したかのような被告等の記載は真実ではないし,真実相当性も認められない」と主張している(原告準備書面(5)8頁)。

 

  しかしながら,被告ベラが「お金を得るために愛・地球博でのゴビ砂漠の砂の販売に手を出し」と述べたことはない。被告ベラは「愛・地球博で,ゴビ砂漠の砂を売るという荒唐無稽なものであった。この仕事がキャリアカウンセラーの資格と無関係であることは,誰であれ判断がつくであろう。」(甲8の9), 「『愛・地球博』で,よく知りもしない『ゴビ砂漠の砂』を,人様に売りつけようとした,口八丁のまやかし人間である。」甲10の1),「失敗を甘んじて受けとめ,そこから学ばないからいつまで経っても愚行を繰り返すのです」(甲7の6)と述べたにすぎない。

 

被告ベラは「お金を得るために」と述べた事実はないうえに,原告自身が,「失敗があって当然と思ってください。私の例を話すと,起業して浮き足だっていた頃,来る仕事をすべて受けていた時期がありました。愛地球博の時に,ゴビ砂漠の砂を売って欲しいと頼まれて,いろいろな仕掛けを作って売ろうとしましたが,大失敗をして負債を背負い込んでしまいました。そこから学んだことは,面白いけれど物販は素人であること,面白い,興味があることと出来ることは別ものだという事でした。二度と同じ失敗はしないだろうと思います。」(乙104の11・キャリアカフェ講義録)と述べて失敗を認めている。

 

  原告は,「お金を得る仕事などでは全くありません。」(甲63・26頁11行目)と陳述しているが,利益を上げるために起業をしたから,起業したばかりの時に来る仕事を何でも引き受けていたのであって,それらの仕事はお金を得る目的で引き受けたと論評することは何ら不合理ではない。

 

  なお,「モンゴルパビリオンの運営」(甲63・26頁7乃至8行目)については,議事録のどこにも書かれていないので,それを前提事実とはしていない(乙120・141~142頁)。

 

  よって。この点に関する原告の主張には理由がない。

 

  同「3 恵泉銀座センターについて」について

 

(1)  認 否

 

  同第1段落について

 

  概ね認める。

 

  同第2段落について

 

()  同第1文について

 

  不知ないし争う。

 

()  同第2文について

 

  原告が恵泉銀座センターを運営する理事会の理事でなかったことは認め,その余は否認ないし争う。

 

()  同第3文について

 

  不知ないし争う。

 

  同第3段落について

 

  否認ないし争う。

 

(2)  被告らの反論

 

ア 原告は,「原告が企画者の1人であること…は甲第63,同68号証のとおりである。」と主張している(原告準備書面(5)8頁)。

 

  しかしながら,被告らは,原告が企画に携わった者の1人でありながら,原告自ら「池澤企画による」(乙104の188),「池澤企画の」(乙99の237)と原告単独の企画であるかのような印象操作を明記して,実際にアイディアを出して「素晴らしい思いつき」(乙99の166)をされた発案者であるアドバイザーの1人の名前が,原告に手柄を横取りされる形で一切表に出ていない事実を指摘して,原告のことを批判しているのである。

 

イ すなわち,原告の社会的活動について掲載しているプラティエス株式会社オフィシャルサイトである「Shall We Platies?」における「最新情報」において,平成21年(2009年)12月,「『新銀座学』が出版されました。」として,「20069月より恵泉銀座センターにて連続開催してきた池澤企画による「銀座学&新銀座学」講演が,このたび1冊の本として出版されることとなりました。」(乙104の188)と公開している。

 

  これは,実際にはアドバイザーの発案に多くの人々の手によってあれよあれよという間に1つのユニークな講座(乙99の166)として育ったにもかかわらず,原告が「池澤企画」と明記している事実は,原告による単独の企画であると誰もが思うように述べられているものであり,印象操作が成されている。

 

  また,原告は,原告自身のブログで「最後の講義が終わってセンターの扉が閉められ,しばらくたった頃,中央区から連絡がありました。『池澤さんが企画していた銀座学ですが,私たちが同じ名前で引き継いでもいいでしょうか。』」(乙99の237・「受け継がれた『銀座学』」)と述べて,中央区の人の口を借りる形で,「池澤さんが企画していた」とここにも明記して,あくまで「原告による単独企画」と刷り込ませようとしている。

 

  原告自身も,「中でも『銀座学』という講座は秀逸でした。講師は,地元銀座の老舗の社長さん方や店主の方々だったのですから。」2011年10月19日「銀座吉水閉店~女将のヒッピー力」)と述べているとおり,『銀座学』は『恵泉銀座センター』において最も素晴らしいアイディアであり,目玉商品であったが,その『銀座学』を,「池澤企画」と明記して,原告が単独で企画したと誰もが思うような印象操作が繰り返し成され,刷り込ませていることを被告らは批判しているのである。

 

  原告は,過去に「ある時,アドバイザーの1人からこんなアイディアが出されました。『銀座の老舗の社長さんや店主の方々に,ご自身の人生を織り交ぜながら銀座を語っていただいたらどうだろうか?』と。この素晴らしい思いつきに多くの方がご賛同くださり,あれよあれよと言う間に1つのユニークな講座が育っていきました。それが「銀座学」でした。」(乙99の166)と述べている。さらに,「恵泉銀座センターが生涯学習講座を開催するにあたって,アドバイザーから以下のような提案がなされました。『せっかく銀座という場所で開かれるなら,銀座にちなんだ講座もあるといい。たとえば,銀座の老舗の経営者から,お店の歴史や銀座という商店街への思い,将来への期待などをこの小さな部屋で受講生と膝づめで伺えたらすばらしいのではないか!』」(甲68・あとがき・402頁)と常務理事であったOM氏も「あとがき」の冒頭に述べているとおり,同講座を発案し企画した中心人物はアドバイザーであると認められる。原告の主張からすれば,講座をお願いする店舗の経営者をあたったOM氏も企画者のひとりということになり,OM企画となってしまうが,「新銀座学」編集委員長と称している。

 

  被告らは,アドバイザーの1人から出された素晴らしいアイディアであり,お手柄を,原告が独り占めして横取りした(乙104の259)と論評をするものであり,その前提事実は真実であるか,真実と信ずるにつき相当な理由がある。

 

ウ 原告は,「ベラさんは,中央区民でもないのに何年も前に自分たちの手を離れた『銀座学』を,5回のうち3回も聴くというのは,十分図図しい,と私を非難していますが,そもそも『何年も前に手を離れていた』わけではありませんし,中央区と連携していた経緯もあり,中央区の方のお誘いもあって聴講したものです。」,「『何年も前に手を離れていた』わけではありません」と陳述している(甲63・27頁26行目乃至28頁3行目)。

 

  しかしながら,「銀座学」は,平成21年(2009年)12月に恵泉銀座センター閉室とともに原告の手を離れており,「銀座学」の聴講は,平成24年(2012年)後期のことであり,約3年の歳月が経っているから,「何年も前」であることは真実である(乙112の9・資料第423号,同資料第424号,乙120・144~145頁)。

 

  また,原告は,「規定の料金はお支払いしました。」と陳述してるが(甲63・27頁25乃至26行目),原告にとっては,たとえ1つの講座の受講料を支払っただけでも,わざわざ「今日は,移管後の講座の一つに,受講料を払って参加してきました。」(乙99の114)と述べており,通常であれば誰もが当然支払うべき受講料を支払って参加したことでさえ,ことさらに「受講料を払って」と述べているものであり「銀座学」の聴講について,そのようなことは何ら公表していないことからすれば,規定の料金を支払ったという原告の陳述は信用できない。

 

  原告は,「甲第63号証のとおり,原告は恵泉銀座センターを運営する理事会の理事ではなかったから,同センターの運営を司る立場にはなかった。」と主張している(原告準備書面(5)8頁)。

 

  しかしながら,平成28年1月29日付原告証拠説明書における甲68の立証趣旨は,「原告が恵泉銀座センターの企画・運営・管理を行っていた事実」とされているように,原告は同センターの運営を一任されていたことが認められる。

 

  そのことは,学校法人恵泉女学園の常務理事を務めていたOM氏が「銀座学」のあとがき(甲68・「銀座学」・403頁【2枚目】)において,「原告に恵泉銀座センターの企画・運営・管理を全面的にお任せし」「16回銀座学・新銀座学で終えることになったのは残念です。」と記載していることから裏付けられている。

 

  すなわち,原告は,同センターの運営を司る立場にはなかったどころか,恵泉銀座センターの通常業務を一任されていたのである。

 

  原告自身,「昨日は,昼間と夜にそれぞれ,大好きな方々にお会いしました。年齢も背景も仕事も異なる人たちですが,共通することは,2人とも私の大切な友であること,2人とも一緒にいてとても楽しいこと,そして,2人とも私がかつて銀座で社会人向けの講座の企画と運営をしていた時代に,無理やり講師をお願いしたこと。しかも,公私混同で,私自身が勉強したくてたまらなかったテーマで開講していただきました(笑)。」(乙99の248),「当時私はここに開設されたばかりの「恵泉銀座センター」が取り組むべき,社会人のための教育の企画と運営を担っていました。」(乙99の254),「私が開設以来ずっと企画と運営に携わっている恵泉銀座センターと中央区との連携講座です。私も司会を勤めさせていただきました。」(乙99の282)などと述べて,原告自身が,恵泉銀座センター開設以来ずっと企画と運営に携わっていたことを自認している。

 

  また,原告は,「長い間,銀座という花のような町で講座の企画と運営にあたってきた身です。」,「さらに毎年,銀座の真ん中で社会人向けの講座を企画・運営するようになって3年。」(「引き算の美学」と題する記事・2008年11月23日。その後,全文削除されている。)と述べている。

 

  また,原告は,「始まってしばらくは人手もなく,企画,運営から鍵の開け閉め,掃除まで全てを一人でやりました。」(「香を聞く~至福空間への旅 」と題する記事・2009年6月23日付)と述べている。

 

  このように,原告自身が,「恵泉銀座センター」において企画と運営をしていたと自認しているのである。

 

  被告らは,そのような事実を前提事実として,原告が「恵泉銀座センター」について被告ら宅に近隣テロ(乙112の2・資料第143号,乙112の10・資料第464号乃至同資料第468号)と呼ばれる一方的な嫌がらせを仕掛けて来た,無職であったり多額の借金を抱えていたり生活保護受給者である3人組と被告らについての密談後,警視庁やXX警察に足を運ぶための集合場所に利用する(甲49・陳述書・15乃至16頁,甲72・陳述書・3頁25行目)など好き勝手な目的で教室を使うなどして私物化して好き勝手な目的で教室を使うなどして私物化していたとの論評をしたものであり,その前提事実は真実か,真実と信ずるにつき相当な理由がある。

 

 原告は,「恵泉銀座センター」について,「もともと場所も4年契約で借りていたものであって『潰れた』わけではない」と主張している(原告準備書面(5)8頁)。

 

  しかしながら,平成20年(2008)年4月に,学校法人恵泉女学園理事長一色義子及び学園長松下俱子氏が「恵泉女学園創立80周年(平成21年4月)事業募金趣意書」の中で「地域社会に貢献することが可能となり,ご期待に応えることが学園の使命と考えます。また,六本木の恵泉園芸センター及び恵泉銀座センターの諸講座も,これらの使命達成の一端を担います。」と述べていることからすれば(乙104の59),同センターが期間限定で設立されたのではないことが認められる。

 

  学校法人恵泉女学園が。恵泉銀座センターの使命を公言しており(乙104の59),同センターを継続するのであれば,場所を変更することも可能だったのであるから,「4年契約」だったから「潰れた」わけではないという説明は事実に反していると考えられる。

 

  この点については,原告自身が,「昨年いっぱいで恵泉銀座センターの閉鎖が決まるや,それを聞きつけた受講生の皆様方から,講座の継続を求める嘆願書を何通もいただきました。同時に,教える側の先生方からも,何とか続けたい,というご希望が多く寄せられました。いったん正式に決まったことを,私の力ではくつがえすことなど,できるはずもありません。けれども,私自身,4年間もの間続いてきた炎を完全に消してしまいたくなかったのも事実です。オリンピックの聖火のように,たとえ小さな炎になってもどこかで,誰かに受け継いでもらいたかった,,,,,」(乙99の114)と述べていることからしても,期間限定ではなかったことを窺うことができる。

 

  したがって,原告が「学園の名誉のためにも,知る由もないことを邪推しないでいただきたいと願います。」(甲63・39頁12乃至13行目)と陳述しているが,単なる邪推ではない。

 

  学校法人恵泉女学園の平成20(2008)年度事業報告書の「学校法人の沿革」には,2006年6月恵泉銀座センター開設と書かれているが(乙112の9・資料第428号),平成21(2009)年度事業報告書には恵泉銀座センターの文字が消えているが(乙112の9・資料第429号),これは,例えば,平成17年(2005年)3月に園芸短期大学廃止が明記されているのとは全く扱いが異なっている。

 

  ここからは,「恵泉銀座センター」が80周年の年にその使命を達成できず,「閉鎖」しなければならかったことを,学園としては「失敗」と捉えて,その存在自体を歴史から消そうとしていることが窺えるのである。

 

  「もともと場所も4年契約で借りていた」と主張しているが(原告準備書面(5)8頁),不動産賃貸契約において契約期間が定められるのは当然であるものの,更新料を支払って更新することは可能である。

 

  「恵泉銀座センター」の運営が軌道に乗っていたとすれば,賃貸借契約が更新されて「恵泉銀座センター」は存続していたと考えられるが,これ以上存続させることができないために閉鎖されたと考えられるのである(乙120・221頁)。

 

  以上から,この点に関する原告の主張には理由がない。

 

  同「4 習い事について」について

 

(1)  認 否

 

  同第1段落について

 

  認める。

 

  同第2段落つにいて

 

  否認ないし争う。

 

(2)  被告らの反論

 

   原告は,「お金を出して何かを学んだことがない」との記載は根拠なく虚偽の事実を摘示するものであると主張し(原告準備書面(5)8頁),具体的には,原告は,「記憶で思い出せるだけでも少なくとも,オペラ,街歩き,リベラルアーツ,生け花,源氏物語と香り,トランプ数学,バラ学,浮世絵,論理的思考法,源氏物語,歌舞伎等といった講座を有料で受講しました。」と陳述している(甲63・28頁)。

 

  しかしながら,これらの講座は,全て「恵泉銀座センターの開講講座一覧」に掲載されているものであり(甲68・407乃至415頁),下記に述べるとおり,原告が,企画・運営・管理を任されていた「恵泉銀座センター」において開かれていた講座であり,原告はその立会人として,気が向いた時だけ聴講していたのであり,それに対して,原告が受講料を支払ったとの原告の陳述は,到底,信用することができない。

 

①オペラ=「銀座でオペラ」(甲68・406頁),「銀座でオペラⅡ ~近世イタリア・オペラ~」(甲68・409頁),「イタリア・オペラ黄金時代の名演を聴く」(甲68・410頁),

 

②街歩き=「TRA3の六感マーケティング ~銀座のおさんぽで感性を磨く~」(甲68・408頁),「街が語る銀座の歴史 ~学び,歩く楽しさの発見~」(甲68・409頁),「TRA3のマーケティング ~銀座のおさんぽで感性を磨く~」(甲68・409頁),「銀座から東京都心を歩く」(甲68・410頁),「TRA3の『笑Show門マーケティング』~銀座おさんぽで感性をみがく」(甲68・411頁),「街が語る銀座の歴史と現在 ~学び,歩く楽しさの発見~」(甲68・411頁),「街が語る銀座の歴史と現在 ~学び,歩く楽しさ~(中央区連携講座)」(甲68・412頁),「街が語る銀座の歴史と文化 ~学び,歩く楽しさの発見~(中央区連携講座)」(甲68・413頁),「銀座四丁目から東京都心を歩く」(甲68・413頁),「街が語る銀座の歴史と現在 ~学び,歩く楽しさ~」(甲68・415頁),

 

③リベラルアーツ=「リベラル・アーツとは何か」(甲68・415頁),

 

④生け花=「安達瞳子の ~花のこころ~」(甲68・413乃至414頁),

 

⑤源氏物語と香り=「香で読む『源氏物語』 ~香体験サロン」(甲68・412頁)「香で読む『源氏物語』 ~香体験サロン」(甲68・415頁),

 

⑥トランプ数学=「トランプ一人遊びの楽しみ」(甲68・411頁),

 

⑦バラ学=「文化としてのバラを探る」(甲68・413頁),「秋から冬のバラの手入れ」(甲68・415頁),

 

⑧浮世絵=「国際人になるための浮世絵の知識」(甲68・410頁),「浮世絵の見かた楽しみかた」(甲68・412頁),「国際人になるための浮世絵鑑賞基礎知識」(甲68・415頁),

 

⑨論理的思考法=「論理的思考態度を身につける」(甲68・406頁),

 

⑩源氏物語=「『源氏物語』を読む」(甲68・408頁),「『源氏物語』の恋の名場面を読み解く」(甲68・409頁),「銀座で『源氏物語』を読む」(甲68・411頁),

 

⑪歌舞伎=「銀座で歌舞伎II」(甲68・408頁),「銀座で歌舞伎」(甲68・409頁,411頁),「歌舞伎の楽しみ方」(甲68・410頁)等

 

さらに,(乙112の3・資料第296号)によれば,⑫「国際弁護士から学ぶHow To Write Good English」,⑬「ギリシャ神話入門~神話と星座のロマン」⑭「聖書通読」⑮「ライフスタイル産業はこんなにおもしろい!」⑯「楽しく食べて健康長寿」⑰「心豊かな暮しを彩るふろしき講座」が加わることとなる。

 

  同「5 原告の自宅の整理状況について」について

 

(1)  認 否

 

  同第1段落について

 

  被告らが,「被告がかつて原告の自宅を訪れた時,ゴミ屋敷のようだった」と記載したことは否認し,その余は概ね認める。

 

  同第2段落について

 

  否認ないし争う。

 

(2)  被告らの反論

 

ア 被告ベラは,「ブログのために写真撮影する以外の部屋は足の踏み場もないのだろう。」,「片づけと整理整頓をしないのが直美氏だ。私が過去に訪れた時,原告の家はまるで〇〇屋敷のようであった。」と記載しているのであり(甲10の5),「ゴミ屋敷」とは記載していない。

 

イ 原告は,「ベラさんがおいでになった15年以上も昔はワーキングマザーとして忙しくしていましたので,週に一度,留守中にお手伝いさんに来ていただいていました」と陳述している(甲63・28頁16乃至17行目)。

 

  しかしながら,お手伝いさんが雇えるお金があるのであれば,スナック「琥珀」で勤務する必要はないはずである。

 

  原告は,「当時の私の生活はそれほど余裕のある物ではありませんでした。私が正直に経済状況をベラさんに話すと」との陳述(甲49・17頁7乃至8行目)にも反している。

 

  したがって,週に一度,原告の留守中にお手伝いさんが来ていたとの原告の陳述は,到底信用することはできない。

 

ウ 原告のブログ「ナオミライクな日々」における「名前を呼ぶ声という愛」(乙99の29)において,原告は,「一緒に食べる,同じ時間に眠る,という共同生活のルールは,気ままにやっていたのとは全く異質の時間を作ります。『まとめて片付ければいいや』と,ほったらかしの散らかし三昧にすることもできなければ,『面倒くさいからコンビニで食べ物買ってきちゃおう』と手抜きもできなければ,深夜にワイングラスを手元に置きながら,いい感じでブログを書くこともできなくなりました。」と述べている。

 

  また,原告は「身も心も『隙間持ち』で」と題する記事(乙99の351)において,「どうも整理は苦手です。カバンの中はいつもゴチャゴチャ。取捨選択をするよりは,『何が必要になってもいいように』という言い訳のもと,何でもカバンに入れっぱなしにしている大雑把者で,しょっちゅう家人からヒンシュクを買っています。それなのに,しょっちゅう忘れ物もしているとくれば,ますますヒンシュクものです。」「ナオミ,この段ボールは何? ずっとクローゼットの奥にあるけど,要らない物だったら捨てたら?」「ナオミ,この棚,ちょっと片付けて少しだけ僕に譲ってくれない?」「『ナオミ,ここもう少しすっきりさせた方がいいんじゃない?』この夏,こんな夫の言葉に初めは少々ムッとし,その後すぐに我に返って,一念発起して汗をかきながらの大整理をしました。」(乙99の351)と述べている。

 

 さらに,原告のブログ「ナオミライクな日々」における「規則的生活の中の不規則な悩み」(乙99の2)において,原告は,「多少家の中が散らかっていようが,『どこかでまとめて片付けましょう。』 ぐらいの乗りで」と述べている。

 

  原告のブログ記事である「『心張り棒』という緊張感」と題する記事(乙112の2・資料第178号)において,原告は,「同居人という『心張り棒』があれば,相手に合わせて常識ある時間帯の中で,仕事をも含めた日々の暮らしの段取りを組み立てなければいけません。だいたいは同じ時間に起きて,同じものを一緒に食べて,同じ時間に眠ります。『心張り棒』という縛りは,家の中もそこそこに片付けさせて,恥ずかしくない状態に保ちますし,まとめて洗おうなどと台所のシンクにお皿を置きっぱなしにさせることなどもありません。」と述べて,原告が現在の夫と同居している暮らしにおいてだけ掃除や片づけをしていることが認められる。

 

  原告のブログ「放牧のお勧め」と題する記事(乙4の99。その後,全文削除されている。)において,「面倒くさいことが大嫌いなうえに自由でいたい私」と述べ,また同ブログの「サイレンナイ ホーリーナイ,メリークリスマス!」と題する記事(乙112の1・資料第83号)において,「決して家事が得意ではなかった義母が,生前よくこんなことを言っていました。同感です!『料理はゼロをプラスにすることだからまだしも面白いわよね。でも,お掃除はいや。マイナスをゼロにするだけなんですもの。』」と述べて,原告の義理の母親の「お掃除はいや」との意見に対して「同感です」と述べており,整理整頓は苦手で掃除は嫌だと原告自身が認めている。

 

  以上の事実を前提事実として,被告らは論評をしているのであり,その前提事実は真実か,真実と信ずるにつき相当な理由がある。

 

  同「老女等に『たかる』とか,金銭目当てで人に近づくといった記載について」について

 

(1)  認 否

 

  同第1段落について

 

()  同第1文について

 

  概ね認める。

 

()  同第2文について

 

  争う。

 

  同第2段落について

 

()  同第1文及び同第2文について

 

  不知ないし争う。

 

()  同第3文及び同第4文について

 

  否認ないし争う。

 

(2) 被告らの反論

 

  老女等への「たかり」等について

 

() 原告は,原告が金銭や商売目的で人に近づくことや,交友関係を商売に利用しているとか,人にたかっていることなどは全くしていないと主張している(原告準備書面(5)9頁)。

 

()  しかしながら,被告ベラと被告ベラの実母である訴外公子と原告との交流における実体験からすれば,原告から交流を求めてきた時期は,「私の生活はそれほど余裕のあるものではありませんでした」,「正直にベラさんに経済状態を話すと」と陳述されているように(甲49・17頁),原告が経済的に苦しい状況にあった時期に突如として始まり,働き口を求めていた原告から仕事の紹介を求められて,被告ベラは,新宿プリンスホテルの地階ラウンジまで足を運び,被告ベラが引き合わせをして「琥珀」で時給2千円のアルバイトをすることになった経緯がある。

 

  原告も,琥珀でのアルバイトについての記事(乙3の5)において,「年を重ねてようやく,お金のためでない仕事が細々とできるようになりました。」と述べているとおり,被告ベラ母娘との交流は,原告にとって,腹ごしらえをして空腹を満たし,財物を交付させる目的であったと考えられるのである(乙104の15乃至同16)

 

  「そして,天野公子さんがお亡くなりになった以上,もはや私が天野ベラさんと交流する理由はなくなりました。」(甲49・13頁)と陳述するように,原告が訴外公子との約束(乙43)を守って被告ベラに対して恩返しをするどころか,一方的に絶縁した態度からしても,原告が,金銭目当てや財物交付目的で,被告ベラ母子を利用したことが認められる。

 

()  また,FNからの電話によれば,「あれだけ占いか何かをしてあげたのにひと言もお言葉がなかった」と述べられているように,亡岸野礼子についても裏切られた,おかしいとFN並びにFNの義理の姉が憤りを感じていることが認められる(乙104の7乃至8)。

 

()   原告は,70歳以上の高齢者を中心に,原告より年長の者を好んで公私に亘り積極的に交流していることが認められる。

 

  すなわち,被告ベラの実母である訴外公子,訴外亡石川愛氏,訴外HT氏,訴外IK氏,訴外SM氏,訴外MA氏,税理士の訴外W先生,訴外YY氏(男性),元ICU学長であり元恵泉女学園学園長で日本オリーブオイルソムリエ協会講師の訴外OK氏,訴外TT氏,91歳の憲法学者である訴外KN氏,ストリートチルドレン支援会の理事長である訴外HJ氏,恵泉銀座センターの責任者であった訴外OM氏,さんこう社社長訴外NY氏,原告の横須賀時代の幼馴染で1学年上の豪邸に住む訴外I磯氏,ハーモニカ奏者である訴外NH氏,神奈川県善意通訳者である訴外KT氏,北大名誉教授・東京工大理学部大学院修了・東工大助手・シカゴ大学・フロリダ州立大学博士研究員・北大薬学部助教授・教授・学部長・青森大学学長である訴外KK氏,原告が飛行機内で情報を聴取したメリーランド在住の75歳未亡人・キョウコ氏,羽振りの良い貿易商の家庭に育ったご令嬢の亡ジャクリーン氏,亡コジリス氏,亡ショーン氏,元フォード社副社長レイ氏とその妻で元ブロードキャスター現在はコラムニストのジリー氏,ダウンタウンに自分の事務所を構える弁護士のマーク氏とその妻ジュディー氏,自閉症の孫たちを持つ学部長のレイ氏とその妻フランソワ氏など,うつ病のジム・ライアン氏,のぼせのネリーナ氏,支払役でレインメーカーのスーザン氏などいずれも原告より年長でありそのほとんどが70歳以上である。

 

  そして,人脈や金脈を有するそれらの善良な高齢者たちが,健在なうちは原告が取りついて離れず,人一倍お世話になっていながら,それらの人物に死が近づき,利用価値がなくなったと見れば一転して顧みなくなり,身勝手な言い訳によって訴外石川愛のお別れ会に欠席(甲49・8頁16乃至23行目)するなどして,義理のある席や哀しみの席など喪の世界からは一方的に逃避していることが認められる。

 

()  原告が相手にお金や財物を出させていることは,原告自身がブログで何度も公開している。

 

  すなわち,原告のブログ「ナオミライクな日々」における「ケサパメラの失敗」と題する記事(乙99の77)において,原告は「昔の同僚夫妻との忘年会で,あっという間に過ぎてしまった楽しい時間を惜しみながら,さてお勘定という時になって,どこをどう探しても,私の大きな紫色のお財布がないのです。」と述べている。

 

  同ブログにおけるBon Voyage!」と題する記事(乙99の355)において,原告は,「私は表参道で24歳のチエミさんと食事をしていました。久しぶりに会ったチエミさんは,ますます美しくなり,毎晩11時までの仕事だと言うのに,『お休みだったので,このスカート,昨日ミシンで縫っちゃいました。』などとケロリと言うのです。そして,私がちょっとトイレに立った間に,何食わぬ顔で二人分の会計を済ませているのです。」と述べている。

 

  原告のブログ「料理冒険家『池澤ショーエンバウム直美』のグローバルキッチン」における「バスクよりは日本気分で『白い花』@フィラデルフィア」と題する記事(乙100の11。その後,全文削除されている。)において,「アイさん:『お世話になったので今晩は私に夕食をプレゼントさせて。日本食はどういかしら。トマスさんお好き?』直美:『ありがとうございます。大好きです。』「まずややっぱりこれです。枝豆とビール。ビールは私たちの大好きなベルギーの『ブルームーン』です。残念ながら生はなくて,瓶でしたが,かまいやしません,飲めれば(笑)。次はお豆腐。ワサビ醤油が利いてます。いいですねえ。そして焼き鳥。これもなかなか。私たち女二人はこの大きなお寿司を頼みました。二人で一皿,それでも十分。アイさんと二人で真剣にジャンケンポン。勝ったほうから先に一つ好きな物を取り,次に負けたほうが取り,また勝ったほうが,,,,というように公平戦で行きました(笑)。息を呑むように美しい!小さなシャリの上に大きなネタが。ちなみに勝ったのは私。最初に取ったのはマグロ。平凡すぎる?夫は何を頼んだかといいますと,なんとこの色々セットでした。大好きな天ぷらも,お豆腐も,巻き寿司も,アボガドも,お新香も,そしてお味噌汁までついてきて,ご満悦のアメリカ人が一人(笑)。ところが唯一の失敗は,ご飯の選択を間違えたこと。『White or Brown?』と聞かれて,つい『Brown』と答えてしまった夫。日頃から柔らかい白ご飯が好きなものですから,この歯ごたえある茶色の雑穀米にはギブアップ。仕方なく,いえ内心しめしめと食べる私。アイさん,ご馳走様でした。」と述べている。

 

  原告は,そのブログに,香港のリュージン氏から2年連続で食事等の無料提供を受け(乙4の51,乙100の10,乙99の309),さらにリュージン氏の娘であり33歳も年下のモンモン氏からも飲茶を無料提供されると聞いて「バンバン頼んだ」こと(乙100の150),SM姐さんからシャングリラ東京のなだ万の個室で鉄板焼きのコースを無料提供されたこと(乙100の151),原告が「すぐに惚れました」と称するスーザン氏から毎回無料提供されている(乙99の334)と述べていることなど,枚挙にいとまが無い。

 

()  以上から,原告が特に70歳以上の老人に近づいては利用し,利用価値がなくなればポイ捨てする人物であるとの論評の前提事実は真実であるか,真実と信じるにつき相当の理由がある。

 

  原告と訴外石川愛氏との交流について

 

()  原告は,「原告が払うべきフィラディルフィアの旅費を,石川愛や日本秘書協会に負担させたこともない」と主張している(原告準備書面(5)9頁)。

 

()  しかしながら,原告のブログ「ナオミライクな日々」における「出会いの不思議 ご縁の恵み」と題する記事(乙4の28。その後,全文削除されている。)において,原告が「『あ,あ,あの,もちろん大歓迎だけど,私たち(原告と亡石川愛氏のこと)女同士でちょっとすることもあるしィ。ホテルも,アイさんが大きなダブルベッドが二つあるお部屋を取ってくれているしィ。』と,先制をする私。」と述べられている。

 

  同ブログにおける「フィラデルフィアへ,そしてまたワシントンへ~アイさんとの時間」と題する記事(乙4の96。その後,一部削除し修正されている。)において,原告が「このフィラデルフィアのホテルの,広いスイートの大きな居間の,沈んでしまうように低すぎる椅子にすわって,となりの寝室で眠るアイさんが起きてくる前にこれを書いています。」と述べられている。この2つのブログ記事からは,フィラデルフィアにおいては,亡石川愛氏が取ってくれた広いスイートの部屋に,原告が,無料で同宿させてもらったと受け取れる内容となっている。

 

  原告は「実際は,ワシントンでの宿泊費は私の方でお支払し」と陳述しているが(甲63・39頁7乃至8行目),原告にはワシントンDCに夫トマス氏所有のCarlyle Towers West(カーライル・タワーズ・ウエスト)なる建物(乙104の25・反訳書)があるから宿泊費はかからないと考えられる。

 

  原告が,「なんと,アイさんと私は六本木のランチタイムが終わる頃には,すでに二人してフィラデルフィア行きを決めてしまったのでした」と述べて,亡石川愛氏からフィラデルフィア行きを誘われていることからすれば(乙4の28),普通に考えれば,宿泊費がかかったとしても亡石川愛氏が負担すると考えられる。

 

()  原告は,フィラデルフィアにおいて,亡石川愛氏から,「アイさん:「お世話になったので今晩は私に夕食をプレゼントさせて。日本食はどういかしら。トマスさんお好き?」と尋ねられて,直美:「ありがとうございます。」(乙100の11。その後,全文削除されている。)と述べ,トマス氏ともども。夜の食事を亡石川愛氏から招待されたことが認められるのである。

 

  したがって,訴外石川愛が旅費等を支払ったことについて,真実であるか,真実と信ずるにつき相当な理由がある。

 

()  なお,原告のブログから,原告が亡石川愛氏を巧言によって褒め殺しにして上手に甘えては仕事を回してもらってきていた事実(乙4の91,乙4の92,乙4の93,乙99の35,乙99の43,乙99の44,乙4の28,乙4の94及び乙99の6),一般社団法人日本秘書協会主催のシニアフォーラム(乙99の67),親睦会(乙71)の講師の仕事を獲得し,グローバルキッチンの常連客にさせ(乙4の91。その後,全文削除されている。),フィラデルフィアでの通訳の仕事を回してもらい(乙4の96〔その後,一部削除し修正されている。〕,乙99の312),無銭飲食同宿旅行の機会を得て(乙4の96〔その後,一部削除し修正されている。〕,乙100の11〔その後,全文削除されている。〕),皿・布・鞄・飲食など財物を交付させてきたこと(乙4の91,乙4の33,乙100の11)が原告のブログ記事において公開されていたものであり(乙120・223~225頁),原告が訴外石川愛氏に近づいては利用していたことの前提事実が真実であるか,真実と信ずるにつき相当な理由があることも明らかである。

 

  台風で九州から来たお客さんが戻れなかった際の対応について

 

   原告のブログ「ナオミライクな日々」における2012年9月30日付け「風が暴れる中秋の名月の夜に」と題する記事(乙99の228)において,原告は,「今日,グローバルキッチンの最終回が終わりました。私は今,心地よい疲れの中で風の音を聞いています。いつも誰かしらがお残りになって,夜が更けるまでなんだかんだの女子トークを続けます。1回目も2回目もそうでした。今日だってたぶんそうなるだろうと思って,庭にお月見用の椅子まで並べていたのです。特別なワインとお団子を用意して。けれども,帰りの足のことを思えばお引き留めするわけにはいきません。九州から飛行機に乗って参加してくださった方は,今晩は帰るのをあきらめて,羽田のホテルに泊まり,明朝の飛行機でお戻りになることになりました。」と述べている。

 

  これに対して,被告ベラは,「『グローバルキッチン』に参加するために,九州からお見えになったお客様が天候の急変によって,ご予定通りの帰宅が出来ないことになったならば,」「自宅に宿泊していただくくらいのことはしてもいいのではないだろうか。」(甲10の5)と述べて批判した。

 

  これは,原告に,ホテルの宿泊料を援助すべきだと指摘した訳ではない(甲63・29頁)。

 

  また,原告は,「お客様をお迎えするとあれば,事前に必死に掃除をし,片付けをするのが人の常ではないでしょうか。」などと陳述している(甲63・28頁18乃至20行目)

 

  しかしながら,上記の原告のブログ記事(乙99の228)においては,「お天気ばかりはどうすることもできません」と述べられているに過ぎず,原告がお客様に自宅にお泊りくださいとの提案をしたなどとは述べられていない。

 

  一般の閲読者が普通の注意と読み方からすれば,原告の家では他の部屋が片付いていなかったから,急な台風でもお客様を宿泊させることはできなかったと受け取るのは何ら不合理ではない(乙120・149~150頁)。

 

  「グランマからの手紙」の出版について

 

  原告は,何かあればすぐに「ビジネス」に結びつけて,原告の実績や原告の利益にしようとしており,そのために他人を原告宅に呼び寄せて,口車に乗せ,上手に動かせて,働かせては「結局一番楽をしているのは私」(乙99の25。その後,一部削除し修正されている。)と自認して述べている。

 

  すなわち,原告は,原告のブログ「たとえハチドリの一滴でも」と題する記事(乙99の22)において,突如生じた,私のそんな思いを整理するために,昨夜,YYさんがブレーンストーミングに駆けさんじてくれました。夜遅くまで話し合う中で,私の頭の中にあった構図が次第に明確な形をとり始めました。1人でやらねばならないと思っていたからこそ,怖くて踏み出せなかったことに,仲間たちが加わった7名のプロジェクトチームができあがり,「私の思い」が「私たちの思い」になり,「私の夢」が「私たちの夢」になりました。そして,今日,最初の一歩を踏み出しました。あっと言う間のできごとでした。今はまだ恥ずかしくて言えませんが,秋にはひとつの形になるはずです。」,原告のブログ「素敵なシンフォニー~13カ国の料理撮影終了!」と題する記事(乙99の25。その後,一部削除し修正されている。)において,「今日,あるプロジェクトのための撮影を終えました。一日で13カ国の料理を作りました。と言っても,私は手ぬぐいを首に巻いてあちこち走っているだけで,キッチンでせっせと料理を作ってくれるのは勝手知ったるSMさんとカズコさんの手際よい二人組。できたものからどんどんと,コーディネーターのYYさんがお皿を選び,布を選び,小物を選びます。それをカメラマンのYGさんがパチリパチリ。撮った写真はすぐにパソコンの画面で確認されて,「お皿をもう少し右側に」とか,「花はいらないんじゃない?」とか大親分のヨシさんが言いながら,また何枚も撮り続けます。いつだって思います。結局一番楽をしているのは私。いつの時代も,よき仲間たちに支えられ,ありがたい,ありがたいと思いながら,何となく指揮棒を振っているうちに素敵な室内楽あるいはシンフォニーが奏でられます。」,原告のブログ「『グランマからの手紙』こぼれ話」と題する記事(乙4の17)において,「私は,大学で経済学を教えると同時に,日本語教授法の先生でもある超多忙なSMねえさんに,新しい24色の水彩色鉛筆を押し付け,「グランマからの手紙」のチームに引き入れてしまったのです。以来,真面目なSMねえさんは,時には原稿よりも先に,きちんきちんと,優しさに溢れる素晴らしい絵を描いてくれました。おかげで,私の文章が息づき始めました。」,原告のブログ「原野さき作品展~10歳で召された女の子が与えてくれるもの」と題する記事(乙99の165)において,「この作品展を企画したのは『のらねこのノー』を出版した『さんこう社』のNYさんです。地味ながら誠実にコツコツと仕事をする職人タイプのNYさんと私は,もう20年来の仕事仲間です。」と述べている。

 

  被告らは,これらを前提事実として論評しているものであり,その前提事実は真実か,真実と信ずるにつき相当な理由がある。

 

  同「7 ICU在職中のアルバイトについて」について

 

(1)  認 否

 

  同第1段落について

 

  認める。

 

  同第2段落について

 

  否認ないし争う。

 

  同第3段落について

 

  争う,

 

  同第4段落及び同第5段落について                 いずれも否認ないし争う。

 

(2) 被告らの反論

 

  原告は,「当時(今より20年以上前)は,今ほどそういった規制が厳しくなかった上,原告は当時の上司にはバイトをしていることを伝えていた。」と主張している(原告準備書面(5)9頁)。

 

  しかしながら,就業規則が20年前だから規制が厳しくなかったという事実はないし,大学当局(例えば,総務課)に対して正式に副業届を出していたとは考えられない。

 

  原告は,「当時の上司には『すみません,金曜日は残業をしないで帰らせていただきます。お店をやっている方のお手伝いをしますので。』くらいのことは言っていました。」と陳述しているが(甲63・30頁7乃至9行目),これが正式な副業届とは言えないことは明らかである。

 

  原告は,「そもそも原告に定職があることを知りながら,当該バイトを勧めたのは被告ベラであって,その被告ベラが就業規則違反などと原告を非難するのは,それ自体不合理なことである。」と主張している(原告準備書面(5)10頁)。

 

  しかしながら,被告ベラは,原告が経済的に余裕がなかった当時(甲49・17頁7乃至8行目,乙3の1,乙58,乙112の10・資料第460号),原告からの依頼を受けたからこそ,原告を「琥珀」に紹介したのである。生活苦を訴えていた原告からの強い申し出があればこそ,定員が足りている「琥珀」に無理を言って紹介し高給で働かせてもらえたのである。

 

  このことは,「私(引用者注:被告ベラのこと)のプッシュとNさん(引用者注:原告のこと)の熱心なアプローチによって,月・水・金の三日間,時給も若い子と同じ二千円で,NさんはKで働くことを取りつけたのであった。」(甲12の1,乙28)と述べたとおりである。

 

  原告は,「公子さんとベラさんが,この店で週に一度ぐらいSYさんを手伝ってみたら?とお誘いくださいました。」(甲63・30頁19乃至20行目)と陳述している。これも原告準備書面(5)が提出されるまで,原告が具体的に陳述したことはなかったものである。

 

  スナック「琥珀」に午後7時から午前0時までの5時間もかけて洗う皿などそもそもなく,皿洗いは,-^「琥珀」の経営者の訴外SYがお客が帰った短時間のうちに終わる仕事であり,アルバイトホステスの職種すら人員は足りていて求人もなされていなかった。それにもかかわらず,原告が紹介してと頼んできたことから,被告ベラが尽力して,アルバイトホステスの仕事を紹介したのであり,被告ベラ母子が「SYさんの皿洗いを手伝ってみたら?」などとの不合理な発言をすることはあり得ないものである。

 

  また,原告は,被告ベラが原告に仕事を勧めた被告ベラが,就業規則違反などと原告を非難するのは不合理などと主張するが,それこそ不合理な主張である。

 

  仕事を紹介された後,原告が勤務先で必要な手続をとるのは原告の問題であり,そこまで被告ベラが責任を追う立場にはない。被告ベラとしては,被告ベラが紹介したのとは全く異なる説明をブログでするなどしたことから,その事実を明らかにして原告を批判する中で,その一環として,就業規則違反を指摘したものであり,何ら不合理ではない。

 

  なお,原告は,最近になっても,「原告は『皿洗い』としてスナックで雇われていた」(甲2の4,甲2の7の原告の訴状別紙1の1の反論データ)と主張しており,なおも時給2千円で職種は「皿洗い」(乙112の10・資料第470号)であったと執拗に主張しているが,全く事実に反している。

 

ウ 原告は,「原告が現在アルバイトに行ったと確認できるのは,1995年2月10日を皮切りに,合計6,7回程度である。遅くとも8月には友人にアルバイトを交代したことも確認された。」と主張している(原告準備書面(5)10頁)。

 

  独身時代の被告ベラが,平成8年(1996年)5月21日(火曜日),新宿安田生命ホールで開催された「学芸会」こと素人たちによる手作り音楽会で「ケサラ」を歌唱し(乙95の1乃至同3,乙96・学芸会のビデオ動画,乙104の1・写真),その後,IBMに勤務する先輩のW氏を含む応援に駆け付けてくれた多くの友人知人らが被告ベラに大量の花束を贈呈しているが(乙95の4),その「学芸会」終了後に,被告ベラがW氏を含む先輩ら3名を連れて,原告が勤務している新宿XXX町のスナック「琥珀」までわざわざタクシーで乗り付けている。

 

  同日の「学芸会」において被告ベラが頂いた花束が置かれたヒ-ターの前で,W氏と密着した姿でカラオケをデュエットする原告の姿(甲44の2,同6,同12,同14)や,原告が被告ベラの先輩であるW氏らの間に座ってポーズをとっている姿(甲44の3,同7,同13)が,それぞれ,スナック「琥珀」の経営者であった訴外SYによって撮影されている。

 

  被告らは,原告がスナック「琥珀」に勤務していた時期が平成8年(1996年)からであると,前回の訴訟でも一貫して主張し,原告は,前回訴訟では「平成8年(1996年)」と認めていながら,本件訴状では,「平成6年(1994年)ころにアルバイトをしていたスナック」と主張し(訴状25頁),最近では,「1995年2月16日を皮切りに」(原告準備書面(5)10頁)と,その主張が変遷している。

 

  なお,原告は,「xx月xx日(引用者注:x曜日)にはベラさんの誕生日である旨記録していました。」と陳述している(甲63・24頁4乃至5行目)。

 

  この点については,原告のアルバイト先であるスナック「琥珀」のママが,原告の勤務日に,被告ベラのバースディパーティを開いてくれたことは事実である(但し,当時の原告の勤務日は月・水・金であったが,曜日の変更は可能だったので,被告ベラの誕生日であるxx月xx日当日に実施されたかどうかは不明である)。

 

  誕生日パーティーを開いた当日は,原告と訴外HY氏の2人が「琥珀」に出ていた日であり,遅くなって帰宅した被告ベラの家に訴外HY氏から電話があり,「プレゼントの中に私の買った下着が混じっていないか」などと聞かれたことがあった。その経緯については,被告ベラは,「天野ベラのホームページ」において「さて,狭い水槽に慣れてきたNさんは,飽きてきたのか,調子に乗って悪のりしたのか,親友のYという女までKにひっぱり,週に一日だけ働かせるようになっていった。(中略)そんな中,Yが店に置いていたという高級下着が無くなったそうで大騒ぎとなり,Kで開いてくれた私の誕生パーティのプレゼント類に紛れて,その下着を私が持ち帰ったのではないかと疑ったYから,凄い勢いで電話がかかってきたことがあった。結局,トラブル続きでYは辞めることになり,Nさんも居づらくなってKから姿を消していった。」と記載している(甲12の1,乙120・133~135頁)。

 

  以上から,原告は,1995年(平成7年)2月(原告の主張。正しくは1996年(平成8年)(甲29・判決文・2頁),1996年(平成8年)5月(学芸会帰りの被告ベラらを接客〔甲44の2,同3,同6,同7,同12乃至同14,乙95の1乃至同3,乙96・学芸会のビデオ動画,乙104の1・写真〕),同年7月(七夕の写真〔乙44の1,同4,同5,同8,同11〕),同年8月(訴外HY氏の入店),同年x月(被告ベラ誕生日パーティー),1997年(平成9年)x月(被告ベラの母・公子氏誕生月〔甲44の9,同15〕)と「琥珀」でアルバイトホステスとして勤務していたことが認められるのであり,「琥珀」の経営者であった訴外SYによる原告の勤務状況について述べた書状(乙28)が正しく記載している。

 

  これに対して,原告は,「このたびマイブック2000年の記録との手帳が出て来ました」(甲63・12頁)と一方的に述べるだけで。それで出勤日を確認したとの原告の陳述については,実際にその手帳が提出もされていないのであり,客観的な裏付けがあるとは言えない。

 

  したがって,原告がアルバイトに行ったのが,1995年2月から合計6,7回程度であるとの原告の主張は,到底,信用することができない。

 

  原告は,「店の状況についても,被告等は誇張して記載しているが,実際は女性もよく訪れるような(実際天野家もよく訪れていたようである)家庭的な店であった。」と主張している(原告準備書面(5)10頁)。

 

  被告ベラは,原告をスナック「琥珀」にアルバイトホステスとして紹介したこともあり,原告や原告を定員が足りているのに高給で雇い入れてくれたスナック「琥珀」を応援するために,しばしば足を運んでいたものであって,被告ベラの父親から,「池澤の女房はまだ琥珀に勤めているんだろう,たまには行ってやれよ」と言ってお金を渡されたこともあった

 

  しかしながら,原告が勤務していなければ,被告ベラがスナック「琥珀」をしばしば訪れる理由はなかったのであり,実際には女性客はほとんど訪れておらず,老人男性客が殆どであり,客層はそのような男性客で占められていたのであり,女性もよく訪れるような家庭的な店であったという原告の主張は,全く事実に反している。

 

  同「8 YY氏(女性)との関係について」について

 

(1)  認 否

 

ア 同第1段落について

 

  否認する。

 

  同第2段落について

 

  否認ないし争う。

 

(2)  被告らの反論

 

  原告は,「被告等は,原告がYY氏(女性)に対し,HY氏のことを,『(YY(女性)さんを)カモにしようとしている』」と述べた旨,ブログに記載した。」と主張しているが(原告準備書面(5)10頁),全く事実に反している。

 

  YY氏(女性)のブログ「『LUCKY!』って,言ったが勝ち♪」における「罠・・私ってカモですか?」と題する記事(乙104の76。その後,全文削除されている。)において,「でも,悩んだのよ,これでも・・尊敬できる大先輩達に先日「私の了見が狭いのでしょうか?どうにも肌に合わなくて・・」と相談したら,「ああ・・・あの方ね・・・ダメよダメ・・あなたカモにされてるのよ」と,逆に迷っている事を叱られた」との記事が公開されており,天野ベラのブログ記事(甲8の20)において,「親友であるはずのHY氏を『あの方』と言って突き放し,YY氏(女性)の肩をもって,『ダメよダメ』と叱咤し,HY氏の『カモにされてるのよ』と口汚く指摘したのは,きっと原告だろう。」と述べている。

 

  「カモにしようとしている」のではなく,正しくは「カモにされて(い)る」とのYY氏(女性)の記事(乙104の76。その後,全文削除されている。)から正確に引用している。

 

  原告は,「HYさんは商売熱心ではあっても誰かを『カモ』にするような人ではありません。」と陳述しているが(甲63・34頁1行目),被告らが,訴外HY氏について,「誰かを『カモ』にするような人」と述べた事実もない。

 

イ 原告は,「HYさんとYY(女性)さんはそのずっと前からのお知り合いで仲良くしていらしたようです」と陳述している(甲63・33頁17乃至18行目)。

 

  YY氏(女性)がHY由美氏とのずっと前からのお知り合いで仲良くしていたとすれば,YY氏(女性)が公開した「罠・・私ってカモですか?」と題する記事に,「また,基本的に仲良くなった人とのご縁は,何となく疎遠にならない限り続くもの。。。幼稚園から,小学校から,中学校からなんて友人も多い私ですが。。でもね・・・初めて,私からこの人とはご縁を切ろうと思う人がいるの。。。」(乙104の76)と述べて公開するとは考えられない。YY氏(女性)は,この記事で,仲良くなった人とのご縁が続いており,長続きしている友人が多いと述べた上で,「初めてこの人とはご縁を切ろうと思う人がいるの」と述べて,HY氏を挙げている。

 

  YY氏(女性)は,自らのブログ記事に投稿されたコメントに対して,「こんな人,私も正直初めてで,ビックリです。はたから見れば,類友なんて思われますし…完全にサヨナラ~です(汗)」とHY氏について述べる返信コメントを公開している(乙104の76・6頁コメント)ことから,「ずっと前からのお知り合いで仲良くしていらした」とは到底考えられない。

 

  YY氏(女性)の「尊敬できる大先輩達に先日『私の了見が狭いのでしょうか?どうにも肌に合わなくて・・』と相談したら,」と述べた記事(乙104の76)が公開された平成22年(2010年)7月7日の数日前である同年7月3日(土)と同月5日(月)に,「グローバルキッチン 夏のスペシャルメニュー」として,グローバルキッチンが開催されている(乙112の9・資料第425号)。

 

  したがって,YY氏(女性)が「先日」,すなわち,7月3日または5日のグローバルキッチンに参加していて,HY氏を知る原告を含む尊敬できる大先輩達に相談したら(乙104の76),「ああ・・・あの方ね・・・ダメよダメ・・あなたカモにされてるのよ」と言われたと推測されるのであり,その論評の前提事実は真実か,真実と信ずるにつき相当な理由がある。

 

9。同「9 岸野礼子について」について

 

(1)  認 否

 

 被告らが,原告が指摘する内容をブログに記載したことは認め,その余は否認ないし争う。

 

(2)  被告らの主張

 

  原告は,「どなたかにお知らせいただいて(天野ベラさんかもしれません)」と陳述している(甲63・34頁9行目)。

 

  しかしながら,岸野礼子と原告に面識があったことや,原告が岸野礼子からお世話になっていた事実については,平成19年(2007年)2月28日のFNからの電話によって被告ベラは初めて知ったのであり(乙104の7),それよりも前の平成7年(1995年)に亡くなった岸野礼子の訃報を原告に伝えることはありえない。

 

  原告は,「原告が,お世話になった岸野氏の通夜や葬儀に参列しなかった旨記載したが,実際には参列した」と主張している(原告準備書面(5)10頁)。

 

  すなわち,原告は「1995年の手帳を調べてみたところ,たしかにこんな記述がありました。」として(甲63・34頁14行目),「11月23日(木) 岸野礼子さん逝去」「11月24日(金) 5:00 目白聖公会 通夜」「11月25日(土)11:00 目白聖公会 葬儀」と陳述している(甲63・34頁15乃至17行目)。

 

ウ しかしながら,手帳にそのように記載されていたとしても,同日同時刻に通夜や葬儀が営まれることが記載されており,せいぜい予定が記載されているだけであり,出席したことの証明にはならない。

 

  しかも,自分の手帳にメモするのであれば,「目白聖公会」と2回も記入する必要はない。しかも,手帳に,「11月23日(木) 岸野礼子さん逝去」と命日まで記入することも考えられず,むしろ,極めて不自然である。

 

エ 実際には,原告は,岸野礼子の通夜にも葬儀にも参列していない。

 

  被告ベラは,亡岸野礼子とは全く親しくしていなかったにもかかわらず,亡岸野礼子の通夜や葬儀全般において,受付から,ご芳名帳,香典の集計等までを手伝っていたが,原告が亡岸野礼子の通夜と葬儀に顔を見せることはなかった。

 

  すなわち,被告ベラは,少ない葬列客のご芳名帳に原告の名が記載されていたという記憶はないし,香典袋に原告の名を見た記憶もなく,原告の参列している姿も目撃していない。また,告別式終了後,井上博夫妻と天野一家を含む参列者らは,目白駅前の中華料理店に集合して昼食の席に着いたが,参列していれば当然当時交流していた井上家や天野家から原告に声がかかるであろうし,原告も両家と会話をするなり挨拶をするなりしてから帰宅したと思われるが,葬儀中も葬儀後も原告の姿を見掛けたことはなかった。

 

  そして,原告が葬儀に参列していたとすれば,FNや秋吉の姉こと秋吉輝雄夫人が原告について「おかしいな」,後で聞いてみたら「全然親しげでもないし」,「ああそういう方なのかと思った」(乙104の7)などと被告ベラに電話で話すことも考えられない。

 

オ したがって,原告が,岸野氏の通夜や葬儀に実際には参列したとの原告の主張は全く事実に反している。

 

10  同「10 成城大学ミスコンテストについて」について

 

(1)  認 否

 

  同第1段落について

 

「M氏を巻き込んで」との部分は否認し,その余は概ね認める。

 

イ 同第2段落について

 

   否認ないし争う。

 

(2)  被告らの反論

 

ア 原告は,「被告等は,そのブログにおいて,成城大学ミスコンテストでの長女の得票数を増やすために,原告が被告ベラやM氏を巻き込んで不正を働いた旨記載した。しかし,そのような記載は全くの事実無根であり,捏造である。」と主張している(原告準備書面(5)10頁)。

 

  しかしながら,原告は,甲第12号証の10の記事が,平成18年(2006年)12月23日から継続して公開されており,原告は,同年11月23日に同ホームページの存在について,被告ら宅に近隣テロと呼ばれる一方的な嫌がらせ(乙112の2・資料第143号,乙112の10・資料第464号乃至同資料第468号)を仕掛けて来た無職であったり多額の借金を背負っていたり生活保護受給者である3人組から教えられたと陳述しており(甲49・15頁),その時点でその存在を知ったと考えられる。

 

  しかるに,平成21年(2009年)の前回訴訟の答弁書(乙104の17)においても,平成25年(2013年)4月の本訴提起時の訴状においても,同年11月提出時の原告本人の陳述書(甲49)においても,この記事が事実無根であり,捏造であるとは主張しておらず,原告準備書面(5)において初めてそのような主張がなされるに至っており,その訴訟態度は民事訴訟の当事者の信義誠実義務に反している。

 

イ 甲第12号証の10は,「天野ベラのブログ」における「実体験より」のカテゴリーにおける「(22)やり過ぎの女-中編-女子トイレ活用法 2006/12/23」と題する記事であり,「今やグルメ・レポーターとしてすっかり有名になった彦麻呂さんが司会を務めていた。」,「会場の皆さんも審査員です!」と言われたこと。不正投票時以外に会場で原告と接していないこと。原告から,中央の出入り口に呼ばれて,走って行き,原告から手をつかまれて女子トイレに入ったこと。女子トイレの位置を正確に覚えていること。原告と被告ベラが無言でその子(原告の長女)のエントリーナンバーを大急ぎで白い紙に書きまくったことを述べ,これらの事実から,被告ベラが原告から成城大学ミスコンテストに呼び出された理由は,原告の長女に不正投票させる目的だけであったとの論評をするものである。

 

  原告は,「原告がM氏を巻き込んで不正を働いた旨記載した」と主張しているが(原告準備書面(5)10頁),上記記事は,「それにしても,音楽教室の男性(注:M氏)もN美(注:原告)に頼まれて男子トイレの中で書かされていたのだろうか?気が弱そうだったから,個室に入ってカギをかけて書いたのかな?想像すると笑えた。」と述べているだけであり(甲12の10),「M氏を巻き込んで不正を働いた」とはどこにも記載していない。

 

エ 本件記事(甲12の10)は,「実体験から」のカテゴリーに紹介されている記事であることからも明らかなとおり,実話であり,原告以外の登場人物も全員実在する人物であり,被告ベラの実体験を述べた記事である(乙112の9・資料第415号,同資料第427号)

 

  すなわち,その登場人物は,登場順に,①被告ベラ,②原告,③原告の長女である訴外池澤春菜,④同級生トノ(C氏),⑤同級生スギウラ(M氏),⑥同級生アユミ(A氏),⑦同級生マルちゃん(M氏),⑧ミスコンテストの司会を務めたグルメ・レポーター彦麻呂氏,⑨被告ベラの亡き母である公子氏,⑩原告の友人で音楽教室を開いているという男性(MA氏)であり,いずれも,成城大学文化祭でのミスコンテストの状況について述べられた実際にあった出来事を記述したものである。

 

  したがって,これが事実無根とか捏造と言われるようなものではなく,この点に関する原告の主張には理由がない。

 

11  同「11 M氏との関係について」について

 

(1)  認 否

 

  同第1段落について

 

  否認する。

 

  同第2段落について

 

  否認ないし争う。

 

(2)  被告らの反論

 

ア 原告のブログ「ナオミライクな日々」における「フクロウ族の活躍」と題する記事(乙4の15。その後,全文削除されている。)において,原告は,「たまたま起きて仕事をしていたものの,すでにワインがグラスに2杯もからだに入っています。様子を見に車を走らせるわけにもいきません。」,「昨日の深夜,突然携帯電話が鳴りました。時計を見れば1時半。『こんな時間にいったい誰だろう?』と発信人の名を見れば,一つ隣りの駅に住む一人暮らしの友人です。『こんな時間にいったい何だろう?』と少々身構えて出てみれば,明らかに様子がおかしいのです。『痛い,痛い』と苦しそうにうめいています。」,「明け方にまた電話があり,『詳しい検査はまだだけど,どうやら尿道か腎臓の結石らしい。とりあえずは点滴で楽になった。』という連絡が入りほっと一息つきました。」と述べている。

 

  独身でひとり暮らしのM氏が経営するP音楽院は,原告の最寄駅である成城学園前駅のひとつ隣の祖師ヶ谷大蔵駅から徒歩2~3分の場所に位置しており(乙34),原告とM氏が,深夜の1時であっても,明け方であっても,遠慮なく電話を掛け合って連絡を取り合い,尿道か腎臓の結石らしいとのごく親しい関係性にない限り,気軽に口に出すことの憚られる排泄部に関する病名についてまで掲載して記事を公開したのであり,この事実を前提事実として,原告とM氏が単なる友人にとどまらず,ごく親しい関係性にある特別な存在であるとの論評をしたものである。

 

イ これに加えて,M氏の経営する音楽教室に「P音楽院」と原告が起業したプラティエス株式会社と単数複数の違いしかない同じネーミングをしており,「ふたりの時だけ」「Its all right my dear」など原告作詞M氏作曲で2曲をつくり(乙104の249,同250),日本秘書協会のシニアフォーラムで音楽を担当させ(乙99の67),日本外国特派員協会でのディナーライブに同氏を誘うなど(乙112の3・資料第278号),M氏との親しい関係性を公開し,オフィシャルサイトにもM氏の音楽教室・P音楽院における発表会の司会やコンサルティングの仕事を請け負っていたことについて述べ(乙104の20),急病時には深夜から明け方の会話まで述べて公開している記事(乙4の15)が公開されている。

 

ウ 甲10の22について,原告は,「摘示事実等②『原告と友人が男女の関係にあったのではないかという意見を述べたものである。』」と主張していたが(訴状・別紙1の1の268頁),一覧表のデータにおいては,「原告と友人が男女の関係にあったという事実を摘示するものである(コ)。」と主張している(別紙1の1の9・493頁)。

 

  しかしながら,被告らは,原告とM氏とが男女の関係にあったと記載したことはないのであり,原告の主張は,被告ベラの記事の内容を曲解するものと言わなければならない。

 

  よって,この点に関する原告の主張には理由がない。

 

 

 

第5  結 語

 

   以上から,原告準備書面(5)における原告の主張には理由がない。

 

以上