平成25年(ワ)第XXXX号 損害賠償等請求事件

 

原告 池 澤 直 美

 

被告 天 野 ベ ラ・天 野 コ グ

 

 

 

 

 

意 見 書

 

 

 

平成220日

 

東京地方裁判所民事第49部合C係 御中

 

 

 

被告 天 野 コ グ

 

                                                被告 天 野 ベ ラ

 

 

 

相手方の「訴訟記録閲覧制限の申立て」について,下記のとおり意見を提出する。

 

 

 

第1 申立て理由がないこと

 

 平成25年11月に原告が甲第46号証,甲第47号証の1および同2,原告準備書面(2)を提出してから現在に至る半年間は第三者の閲覧等を制限しなかったものであり,これら記載事項が「重大な秘密」・「社会生活を営むのに著しい支障を生ずるおそれ」の対象ではなかった事実は明らかである。

 

 

 

第2 裁判の公開原則を歪める訴訟記録閲覧制限

 

提出当初は閲覧者などいないであろうと見越して,閲覧を制限せず,閲覧者が予想されると判断すれば,制限を加える等というような理由であるとすれば,裁判公開の原則を著しく歪めるものであり,容認できない。

 

 

 

第3 秘密記載部分が特定されていない

 

 申立人の文書目録によれば,甲第49号証(陳述書)および甲第58号証の1および甲第60号証および甲第61号証について,訴訟記録中の秘密記載部分が何ら特定されていない(民事訴訟規則34条1項)。

 

 

 

第4 甲第49号証について

 

 閲覧を制限するのであれば,甲第49号証は陳述すべきでない。そもそも,原告の「交友関係」(甲494頁,8頁)川●太●氏,同氏の母親・川●久●子氏,松●章●氏,石●東●氏,鈴●松●氏,石●愛氏,原告の夫,吉●裕●氏の記載については,訴状18ないし19頁および28ないし29頁および甲第26号証にも記載されている。

 

しかも,実際に「天野ベラのブログ」が理由であることをはっきりと告げて縁を切ってしまった人たちであるとすれば,堂々と閲覧に耐えうる記載内容であり,閲覧を制限する理由にはなり得ない。

 

また,「結婚生活など」(甲4911頁)が記載されているとの理由については,後夫の自慢話(甲4911頁)が主であることから,第三者に閲覧してもらって構わない記載内容であり,これも閲覧制限の理由にはなり得ない。

 

そもそも,被告らの如き素人からの反対尋問にすら耐えられず,崩れる程の薄弱かつ脆弱な「陳述書」(甲49)を一方的に提出し陳述しておきながら,その半年後になっていざ論理立てて反論される段になれば,第三者には閲覧させたくないとの身勝手な我儘は許されてはならない。

 

 

 

第5 訴訟記録閲覧制限は,法廷の場を密室にする暴挙

 

原告は,「本当に気持ちがダウンした時には自殺をしたくなります。」(甲49188乃至9目)と陳述しており,原告が実際に「○病」であるとすれば,自殺する可能性は高く,取り返しのつかない事態となってからでは遅いため,周りの同僚や業界関係者らには原告の体調について有りのままに伝えて理解を得るとともに(甲581,甲60,甲61),配慮や保護を求めるべきであろう。

 

しかしながら,原告が,半年の時を経て唐突に「診断書」(甲46)「薬の処方」(甲47)等の閲覧制限を申立てたのは,これらが被告らへ超高額の金員を請求するためだけに必要な捏造した証拠の提出であり,被告らと裁判所以外の世間には決して知られたくないとの虫の良さが理由であるとの確信を得ている。

 

                                                                                         

 

第6 結論

 

畢竟,裁判官には原告の「○病」を認定させて多額の慰謝料請求材料としてもらいたいが,一方で,第三者には「○病」と見られたくないし,見られては困る,仕事を続けていくうえで著しく不都合であるから,「○病」の診断書等は閲覧を制限してくれとの原告の神髄である『ダブルスタンダード』を地で行く本件申立ては,たとえ権力者である弘中惇一郎・絵里弁護士らが原告訴訟代理人であろうと,許されるものではない。まして,他人のプライバシーであれば,精神疾患等(「鬱病」「自閉症」「のぼせ」「頭にチップを埋め込む」)を含む病名や治療法,常に持ち歩いている薬(ニトロ等)(被告準備書面(1)・32頁)センシティヴな個人情報を,入院した日付や抗癌剤治療を始めた日付,乳ガンでリンパを取りました等とメールごとブログに貼り付けて,本人の実名や実年齢とともにブログから一般公開してきたのは,ほかならぬ原告自身である。

 

したがって,被告らは,半年間も放置していながら,今になって訴訟記録を閲覧制限させようとする本件申立ての却下を希望する。そもそも,当事者である被告らと裁判官だけが原告を「○病」患者と認めさせられて,慰謝料請求の材料とされ,それ以外の者に対しては「重大な秘密」として隠蔽することなどもっての外であり,裁判と現実社会との間に乖離が生じることとなれば,訴訟そのものが絵空事となってしまう。御庁における賢明なご判断を望む。

 

以 上

 

ナオミライクな日々(池澤ショーエンバウム直美氏のブログ記事)(乙4の81)

 

2009年08月19日

 

Yes, We Can! ~ジムとダンバートン・オークス

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 ワシントンDCとの間を行き来するようになって6年がたちますが、行くべくして果たしていない未踏の地が、まだまだたくさんあります。 「Dumbarton Oaks & Gardens」 もその一つでした。

 ヨーロッパの小さな町を思わせるようなジョージタウンの目抜き通り、ウィスコンシンアヴェニューを1ブロック東に入った一角が、 「ダンバートンオークス」 という名の屋敷と庭園です。外交官だったブリス夫妻が1920年に購入した広大な敷地に建てられた瀟洒な邸宅は、今ではハーバード大学の管理するところとなり、ビザンチン様式とプレコロンビア(コロンブス以前)様式のコレクションを展示する小さな博物館として、月曜日を除く毎日、午後の3時間だけ一般に公開されています。

 実は私が興味があるのは博物館ではなく、隣接した庭園の方でした。4万平米もの広さを持つ庭には池や噴水や美しいテラスがあり、木々や花々が洗練されたスタイルで植えられています。昨日、秘密の花園ようにこの誰もいない庭園を、ジム夫妻と歩くことができました。

 ジムは夫の幼稚園時代からの幼馴染であり、65年もの間、一貫して親友です。数学者だった彼は定年までの35年間をNASAで働いていました。40年前のアポロ11号月面上陸の際にも、現場でレーダーの動きを監視していました。定年後は郊外の家で趣味のステンドグラス作りとサイクリングの日々を楽しみ、週末には大勢の孫たちに囲まれる幸せな日々を送っていました。サンタクロースのような白いヒゲの大きな体格のジムは、いつだって豪放磊落で、私の小さな悩みを吹き飛ばしてくれました。
 
 それなのに信じられないことが起こりました。昨年、突然起こった金融危機で、資産のほとんどを託していた株が大暴落してしまったのです。以来、ジムは家に閉じこもるようになりました。人と話すことを避け、医者から鬱病と判断され、献身的な妻、キャシーの介護に守られながら、今なおセラピーを受け続けています。

 こちらに到着した夜に、キャシーに電話をしました。いつもならすぐに、 「それじゃあいつ会う?」 となるのが、 「ごめんなさい、ナオミ。まだジムを一人にできる状態ではないの。いつものレディーズランチはできないわ。様子を見てまた電話する。」

 ようやく電話があったのが3日前。そして私たちは、昨日、ジム夫妻とダンバートンオークスで会うことになりました。約束の時間になっても現れない二人を心配しながら待っていると、見慣れた人影が遠くから見えます。でも、何かが違う。すっかり痩せてしまったジムでした。もうあの茶目っ気たっぷりにカラカラと笑うジムではなく、言葉少ない静かなジムと一緒に、私たちはゆっくりゆっくり広い庭を歩きました。

 途中、素敵なものをたくさん一緒に見つけました。そんな時には一瞬、ジムが本来のジムに戻ります。私たちは、オレンジ色と黒のコントラストが美しいスワローテール(蝶)が花々に群がる姿に小さな嬌声を上げ、季節が来ればメキシコまでも渡っていくというモナークという蝶の姿をとらえ、たわわに実るリンゴの木の下で休みました。

 町のフレンチビストロで早い夕飯を一緒にした後で、 「キャシー、また会おうね。みんなでまた旅行をしようね。」 と言うと、キャシーが大きく微笑んだ後で、ポツリと言いました。 「I HOPE SO.」

 金融ショックがもたらした変化は、国の経済だけではありません。そして人間の心はかくも繊細で、かくも脆いものなのです。ジム、キャシー、大丈夫、 「Yes, We Can」! 

 2年前にジムを取材した時の記事がここに載っています。これが本来のジムです。
http://afresh.business-i.jp/afresher/

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2011年04月19日(乙4の82)

 

カンラカンラのジム物語

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Dear Jim,
Happy Birthday!!
You have already lived a long and magnificently successful life,
and have many years to come!
What a journey since we met in 6th grade!
Love Tom & Naomi

これは昨日、日本からのプレゼントと一緒に、22日にお誕生日を迎えるジムに渡したバースデーカード。日本語に置き換えればさだめしこんな感じでしょうか。

ジム、お誕生日おめでとう!!
君はすでに随分長いこと、堂々と素晴らしい人生を歩んできた。
そしてまだまだこれから何年も歩み続ける。
何ていう旅だろう、6年生の時に出会ってからずっとだなんて。

ジムは夫の小学校以来の親友です。見た目はまるで、とっぷり太ったお髭のサンタクロースです。大学院で数学を勉強してすぐに就職したNASAでの35年間を終えて、リタイア生活を始めてからもう随分たちます。

「大学院は居心地が悪かったけど、NASAでの仕事は毎日が実に楽しかったよ。代数や位相幾何学、グループ理論などの知識もどんどん勉強してね、それを実際の場で応用できる喜びがあった。論理的に物を考え続けることは素晴らしい頭脳訓練になったね。」

そんなNASA時代の思い出話を話す中でよく出てくるエピソードは、1969年7月のアポロ11号の月面上陸瞬間の感激です。ジムはその6年ほど前からアポロチームの一員として働いていたのです。

「アームストロング船長の声が大きなスピーカーを通して聞こえてくるんだよ。まさに『歴史の証人』という思いだった。」

退職してからは、ワシントンに住みながらも1年のうち2ヶ月はフロリダで子供や孫たちと過ごし、大きなからだでどうやって乗れるのかと思いながらも自転車旅行を楽しんでいました。その合間にステンドグラスの教室に通い、持ち前の器用さからめきめきと腕を上げ、あちこちから依頼が来るようにもなりました。

「なぜ突然ステンドグラスかって?そうだなあ、子供の頃は模型飛行機ばかり作っていたからなあ。たぶんNASAで仕事をしている間はずっと眠っていた思いが目覚めたんだろうね。人生ってそんなもんじゃないかな。年を取ってからまた、忘れていたことや、やり残したことに戻っていく。」

そんなジムでしたが、本人にとっても、家族にとっても、そして私たち友人たちにとっても、予想もしなかったことが起こりました。3年前のリーマンショックで、彼の余生の財源であった株の値が暴落してしまったのです。ジムは自転車に乗ることも、ステンドグラスを作ることもできなくなり、ただ家に閉じこもるようになりました。豪放磊落な笑い声も聞かれなくなりました。それが彼の鬱病の始まりでした。

回復には長い時間がかかりました。一昨年の夏に一緒に植物園に行った時には、何をするにもしんどそうに、言葉もなく、笑顔もなく、ただ私たちと一緒にゆっくりと歩くだけでした。どんな薬も画期的な回復には繋がりませんでした。それでも私たちは、いつもと同じようにジムのそばにいました。

光が見えたのは昨年の夏のことでした。奥さんのキャシーによれば、「薬をやめて、頭の中にチップを埋める療法にしたのがよかったのね。驚くほどに早く以前のあの人に戻っていった。」

今、ジムはしょっちゅう電話をしてきては、私の下手な冗談にガラガラと大声で笑います。昨日は涙を浮かべながら、私が語る震災の話に耳を傾けてくれました。そして、夫と二人、まるでいたずら盛りの少年に戻ったように、何だかんだと早口でしゃべりあっては笑い転げます。そんな少年たちの英語は私にはわかりません。

「どうして私、あなたたちの英語がわからないんだろう。」と聞いたら、「そりゃそうだろ、僕たち子供に戻っちゃってるからさ。」と、またカンラカンラ。

お誕生日を迎えたジムは、こうしてまた、私たちの大好きなジムになってまだまだ長い道のりを一緒に歩いて行ってくれるのでしょう。一緒に年を重ねて行く友がいるというのはなんと嬉しいことでしょうか。

ところで、昨日のオールドタウンは大変なことになっていました。先日の暴風雨でポトマック川の水が溢れ、川に近い一帯が水浸しになっていたのです。いったいどうなることかと案じていたら、大きな排水車がやって来て、私たちが外テーブルでコーヒーを飲みながら長いおしゃべりをしている間に、水がどんどんと引いていきました。帰る頃には元通りの道。

「まるで僕のようだね。」と、またジムがカンラカンラ。

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4月18日(月):ビールの浪漫と物語
4月19日(火):Au Bon Painで宝探し
4月20日(水)予告:プエルト・リコの市場フォトツアー
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2011年09月06日(乙4の83)

 

たわいない話で盛り上がれる友は貴重な存在

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 レイバーデイ(労働者の休日)だというのに、珍しく朝早くからポンポンと調子よく仕事をしていたら、いきなり連れ合いがやってきたのが2時ごろのこと。

「ナオミ、今日は雨になるらしいよ。早めに行ったほうがいいよ。」

 ということで、「えっ、こんなに晴れているのに?」と半分疑いながらも、パタンとPCを閉じて、急いで水着に着替えて行ってきました。だって夏が今日で終わりになってしまうのですから。(本当は最後のサンセットスイミングの予定だったのですが、、、、、)

 案の定、4時頃から雲行きが怪しくなって、とうとう雨が降り始めました。ここのプール、雨粒がちょっとでも落ちてこようものなら、すぐさまドアを閉めて、ガードのお兄さんがいなくなってしまうのです。というわけで、滑り込みセーフをした今年最後の「私のプール」が、予定より5時間も早く2011年の幕をおろしてしまいました。雨は明日、明後日も降り続く模様です。

 昨日、紫陽花と向日葵を飾ったのは、自分のため、夫のため、そして夕飯にやってくるジムとキャシーのためでした。キャシーと出かけた郊外のレストランの、手入れが行き届いた庭に、私の顔よりも大きな向日葵がたくさん咲いていて、その下で二人で写真を撮りあった夏を思い出したからです。

 学生時代に知り合って結婚したという、キャシーの夫のジムは、これまた向日葵のような人。大学院を修了して以来35年もの間、ずっとNASAで仕事をし、アポロ計画にも加わっていた人です。大きなからだで、豪放磊落に笑い、「退職してからは、なんでもない日常を楽しむことが特技さ。」と言うジムは、夫の幼稚園時代からの親友です。育ったのは二人ともシカゴなのに、今はたまたまワシントン。となれば、当然のように、何かと理由をつけては集まりたがります。「ナオミが来た。」というのだって、その十分な理由になります(笑)。

 リーマンショックで、預けていた資産が紙くずのようになってしまった時には、さすがの向日葵ジムも落ち込んで、人が変わったように無口になりました。一人で家に閉じこもるばかりになってしまったジムは、まさに頭をうなだれて雨の中に咲く大きな紫陽花のようでした。けれども、献身的な妻キャシーと、医者の最新治療が効を奏して、今では全く変わらない昔の向日葵ジムに戻りました。「ナオミ、今日は何料理?」と言いながらやってきては、何料理だろうが楽しそうに食べつくしてくれます。

 ジムと夫の二人が話し始めると、もう私には耳が追えません。このほかにあと2人の幼馴染が加わった時など、すごいスピードで弾丸トークを繰り広げる彼らの英語に、途中からまるでついていけなくなりました。すっかり自信を喪失して、後から夫に嘆いたら、こんなことを言われたのを思い出します。

「わからなくて当たり前。みんな子供時代に戻ってるからね。」

 先日ダウンタウンの店でようやく日本の新聞を見つけました。日経の国際版(米州)です。日本にいたら飛ばし読みの新聞もここでは貴重品。丁寧に隅々まで読んでいたら、岸本葉子さんのコラムの中にこんな言葉を見つけました。8月31日の新聞です。

「私が十代の頃アイドルだった人の訃報に、接することが多くなった。自分たちより下の世代は、そういうアイドルがいたことすら知らない。『こんな歌が流行ったよね』と振り付けを交えて語り合える人は、この先どんどんと限られていくだろう。ささやかな共通体験で結ばれ、たわいない話で盛り上がれる友は、貴重な存在なのだ。」

 幸せな思い出は大切に。
 そうでない思い出は潔く忘れて。
 後ろを振り返って楽しめるかどうかの秘訣って、もしかしたらそんなこと?

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9月5日(月):炊飯器で簡単!ひよこ豆ライス@プエルト・リコ
9月6日(火)予定:謎の調味料ソフリート@プエルト・リコ
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お料理不要の素敵なホームパーティ @ USA

2009-09-03 08:20:52 | ホームパーティ(乙4の84)

さあて、皆さんもこんな経験ありませんか・・?
「パーティーはやりたい、でもお料理は面倒くさい。」
「お料理を作る時間がない、でもパーティーはやりたい。」・・・・
な~んてこと・・・

そんな皆様のために、本日はとっておきの実例をご紹介いたしましょうね。
これも今回のアメリカで、私が学んだことの一つでございます。

ある日の午後、私達夫婦に「晩夏の晩餐」への美しい招待状が届きました。
けれどもここはアメリカ・・・「ちょっといらっしゃいな」とお誘いを受けても
会場は、ちょこっと行って帰れる程度の距離ではありません。

出席を決めた私達がまずした事は、ホテルを予約すること。
それから、旅の準備をして・・バージニア州からメリーランド州を抜けて
ペンシルベニア州へと3時間も車を走らせました。

酔狂と言えば酔狂、でもたまにはいいでしょう? こんな大人のお遊びも。
それに集まる面々がとても魅力的な方々なんですもの。

招待状の主は、ロースクール学部長ルイと弁護士フランソワ夫妻。
夫婦そろって超多忙な上に、ン?たしかフランソワは料理は苦手って言って
いなかったかしら・・??
そんな事をフト考えた私でしたが・・・

そのパーティは、実に素敵なパーティーでした。
ホストとホステスは余裕たっぷりにお客様をお迎えし、
ウェルカムドリンクを一緒に楽しみながら、知らない人同士を紹介し、
頃合を見てテーブルに誘導します。

2つの大きなテーブルには、お皿やグラスと一緒に、名前の書かれたカード・・

ルイとフランソワの策略で、7組のカップルが全員別のテーブルに離れ離れに
させられます。

こちらのテーブルの真ん中にはルイが座り、あちらのテーブルの真ん中には
フランソワが・・・私はルイのテーブル、夫はフランソワのテーブル。

「心細い!」なんて言ってられません!!
食事のマナーも会話のマナーも夫に頼らずに自力で頑張らねばなりません。

でも、こうした場を積むごとに、少しずつでも自分が成長していくのが
わかります。
ほら、「可愛い子には旅をさせよ。」と言うでしょう?

ホスト、ホステスがお客と一緒に座っていたら、いったい誰が料理を運ぶ
のでしょう。

実はこのパーティーの秘密は。。。。。ケータリングでございました! 
しかも2名のプロのメイドさんつき♪





きれいに並べられたお料理も、素敵なお皿も、飲み物のオーダーを聞いて
まわるのも、お料理を運ぶのも、全て一分の隙もなくトレーニングされた
2人のプロの女性たちが采配をふるいます。





ルイとフランソワは料理を作る手間もなければ、汚れたお皿を洗うことも
ありません。

きっとお金がかかったことでしょう。
でも、自分たちで買い物をして、一日中お料理をして、お客が帰った後で、
山のようなお皿を洗うことから解放されて、時には自分の家で一緒に楽しんで
しまうこんなホームパーティーもグッドアイディア!





そんな、目からウロコのセレブなパーティから一夜明けて、私たちが
ワシントンに戻ったのを見計らったかの様に、ルイから電話がありました。

「いやあ、昨晩はありがとう! 僕たちも今ワシントン。今朝5時に出て
車でやってきたんだ。いつか話したよね。15歳と17歳の自閉症の孫息子たち
のこと。週末は僕らが代わって孫たちの面倒を見ているのさ。

色々な家庭の事情があっても、しっかりと自分たちの社交を大切にする二人
を尊敬しながら、「あの素敵なケータリングパーティーだったからこそ、
翌朝にはいつもの献身的なおじいちゃん、おばあちゃんになれたのネ。」と
ちょっと胸キュンで納得する私でございました。

By 池澤ショーエンバウム直美

2010年08月07日(乙4の84)

 

Miracle may happen! ~ 奇跡だって起きるかも

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 毎夏、必ず、こんな来客続きの何日間かがあって、私はメニュー作りと、買い物と、料理に奔走します。買い物を手伝うぐらいしかできない夫は、すまなそうに 「悪いねえ、じゃ、僕ちょっとオフィスに行ってくるから。なるべく早く帰るよ。」 などと言いますけれど、何の何の、おかまいなく、私はけっこう一人で 「マイワールド」 を楽しんでいるのです。

 台所と仕事部屋を行き来しながら、料理がオーブンに入っている1時間の間に、泳いでしまったりもします。そこらへんの按配は、長年の経験からうまい具合に身についています。

 友人たちはよく、「メニューを考えるのが大変じゃない?」 と言いますけれど、それが一番楽しい作業かもしれません。何ページにもわたるこんな記録が私の閻魔帳です。

 たとえば、昨年の8月14日(金)には、Louisに、天ぷらとすき焼き (まあ、いくらリクエストがあったとは言え、何と言う取り合わせ!)、大根サラダと揚げワンタンetc.を食べてもらった、と言うことがわかります。

 見ているだけで色々思い出されて楽しくなりますし、同じ人に同じものをお出しすることを回避できます。

 勝手に、「花を飾るのも料理の一部」 と考えている私は、昨日も3箇所にこんな花たちを飾ってみました。白いアジサイは大振りで、清楚さと華やかさの両方を持っています。赤いアルストロメリアはサンルームの色合いにピッタリです。薄紫のグラジオラスは、花瓶がなくて苦労をしたあげく、アルミのワインクーラーに活けて、たまたま持っていた同色の薄紙でフンワリと囲んで金属色を隠しました。もっとも、昨日の男どもは、そんなもん、おそらく視界にも入ってやしません。完全なる自己満足です(笑)。

 昨夜のお客は、昨年8月14日のLouis (ルイ)、83歳
商業法と比較法のちょっとした権威です。定年年齢の決まっている日本とは違って、教授職の定年は自己裁量のここアメリカでも、おそらく現職として活躍している最年長の教授の一人でしょう。5月から6月には9週間も、学生たちを連れてEU諸国で移動講義をしてきました。

 夫人のフランシスは、今はリタイアをしましたが、現役時代はその名を知られた弁護士でした。ある弁護士会初めての女性会長を勤めたり、その功績に数々の賞を授与されたりもしています。

 昨夜、フランシスはルイと一緒に来ることができませんでした。

 二人にはやはり弁護士の娘がいます。そしてその娘には二人の息子がいます。二人の青年は、そろって 「autistic」 =自閉症 です。ルイとフランシスは、ほとんど毎週末、ペンシルベニアから車を走らせ娘たちの住むワシントンにやってきます。一人では食事もできない、外にも出られない、自分たちよりもずっと大きな身体の孫息子たちの世話をするためです。その間は、ルイとフランシスは二人一緒に出かけることはできません。

 気にはかかっていても、こちらからは聞かないことが暗黙のルールであり、思いやりです。私たちの昨夜の夕食も、最後の最後までその話題に触れることはありませんでした。それが、「最近の具合はどう?」 と言う、デザートが運ばれてきた頃のさりげない夫の一言で、ルイが堰を切ったように孫息子たちのことを話し始めたのです。

 私たちは口をはさまずに、ただうなづきながら、じっと耳を傾けました。

 「これまで16人のセラピストの手に委ねてきたけれど、今のフミが一番いい。10年前にアメリカに勉強をしに来た、まだ26歳の日本人なんだ。孫たちを見ているだけでなく、孫たちに働きかけてくれる。9週間ぶりにヨーロッパから帰ってきてちょっと驚いた。こちらの顔色をうかがうようなところが出てきたんだよ。それだけでも僕たちにとっては、本当に嬉しい『コミュニケーション』なんだ。」

 そして、最後にこう言いました。

「長い話を聞いてくれてありがとう。
 僕らはもう先は限られている。十分に仕事もしたし、十分に生きてきた。
 一つだけ心残りがあるとすれば、孫たちのことだよ。
 でもね、最近の様子を見ていてふとこう思うんだ。
 『Miracle may happen.』 奇跡が起こることだってあるかもしれない、って。」

 ルイ、私もそう思います。
 Miracle may happen。奇跡が起こることだってあるかもしれません。
 いえ、絶対にありますとも。

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グローバルキッチンお品書き (土日閉店)
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8月6日(金):とってもアメリカ的パーティー
8月9日(月)予告:日本食スーパー発見!
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2011年12月17日(乙4の85)

 

And Then There Were None~そして誰もいなくなった

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 「どなたかクリスマスソングのCDをお持ちでしたらご持参くださいますでしょうか。わたし、どこにしまいこんでしまったやら、、、、見つかりません(涙)」

 こんなメールを全員にお出ししたら、かけきれないぐらいたくさんのCDが集まりました。でも、もしかしたらCDは不要だったかもしれません。なぜなら、お昼から5時過ぎまで、クリスマスソングも聞こえぬほどに、素敵な姦しさにあふれかえっていたからです。それもそのはずです。女たちが3人どころか15人も会していたのですから。

「グローバルキッチン」のスペシャルバージョンとして、クリスマスのちょうど1週間前の今日、一品持ち寄りで女たちのクリスマスパーティーが開かれました。参加する者が、手料理でもデパ地下でも、コンビニでも、何でも1品を持参するというのが「ポットラック」と呼ばれるパーティーです。これまで何度となくやってきましたが、不思議なことに、打ち合わせもしないのに、同じ料理や食べ物が重なったことは一度もありません。今日もテーブルの上に色とりどりの花が咲きました。

 20名が集まるはずだったこのパーティーでしたが、様々な理由から5人の方がいらっしゃれなくなりました。中には昨日の深夜に連絡が来て、「92歳の祖母が危篤です。これから車で福島まで駆けつけます。」という方もいれば、ご本人が体調を崩されたり、ご家族がお怪我をしたり、、、、、、

 ひとたび冷静に考えてみれば、今日集うことができたのは、決して当たり前のことではありません。起こりうるかもしれないたくさんのリスクを回避して、たまたま手にした幸運です。だとしたら、それをありがたく思わずしていいものでしょうか。

 15人のうち最年長の75歳のトヨコさんがおっしゃいました。トヨコさんは首からニトロを下げながら、大好きなブータンに通っては写真を撮っていらっしゃる、私の尊敬する先輩です。

「皆さん、できる時にしなければだめよ。面倒くさがって『いつかやろう』などと思っていたら結局はできなくなるんだから。私だって急に右膝が駄目になってしまって、やろうと思っては先延ばしにしていた山登りができなくなってしまったの。」

 どうしてこんなに笑えるのだろうか、と思うぐらいに笑い声が絶えなかった空間が、今では物音ひとつない静寂に包まれています。暗闇の中に残されたのは、たくさんの空き瓶と、栓が開いたスパークリングワインがまだ3本。3本とも残っているのは5センチばかり。
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 私は今、「そして誰もいなくなった」空間の中で、5センチをひとつずつ空にしています。そして、いい具合に酔いがまわってきた頭で思います。女たちの明るく華やかな笑い声の裏には、この1年、たくさんの涙を流し、悩み、苦しみ、それでも何とか歩いてきた道があったことを。
 
 だからより一層、今日の日を共に祝いたかったのです。
 真っ暗闇の中で、もう一度、キャンドルをつけてみました。
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12月11日(日):路地坂下の人気レストラン「LA TAVERNA」
12月12日(月):???のギリシャレストラン@ペルージャ
12月14日(水):素敵なスープブレイク@スポレート
12月15日(木):まさかのカニカマ@ローマ空港
12月17日(金):「グランマからの手紙」はレシピ付き!
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2011年11月05日(乙4の86)

 

ブータン~子供たちの笑顔

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 月曜日より銀座のギャラリーで「ブータン~祭りと人と~」という写真展が開催されています。随分前から、私の手帳の31日(月)に大きな○がつけられていたのですが、なかなか行くことができず、とうとう昨日になってしまいました。しかも駆けつけたのは、もう外が暗くなり始める頃。

 登代子さんは私が長年働いていた大学の同僚でした。とは言え、いったいおいくつになられたのかも定かでないのです。なぜなら初めてお会いした時からちっとも変っていないように見えるからです。直接お年を聞くのもはばかられて、一計を案じ、極彩色の祭りの写真の前でさりげなく聞いてみました。

「大学を定年でおやめになったのは何年でしたっけ?」

 その答が1997年ということは、すでに75歳~76歳ということになるのです。けれども、心臓のご病気のある方が、そのお年でどうしてあちこちへと自由に出かけ、いろいろなことに好奇心を持ち続けていられるのでしょう。あげく、銀座のギャラリーで写真の個展まで開いてしまうのですから。

 私がグローバルキッチンを始めた昨年の1月から、ずっと皆勤賞で通ってくださっていますし、8月の横浜でのチャリティーコンサートにだって、一声おかけしたら、たくさんのご友人を引き連れて、あの猛暑の中、足を運んでくださいました。そのフットワークの軽さは見事なものです。

「私はねえ、ひとり暮らしだから、明日何があってもいいように、やりたいことをどんどんやって生きているの。」

 そんなことを飄々とおっしゃいます。

「ブータンとの出会いは、1979年にニューデリー空港でインドに留学する若者を見た時でした。まるで日本の『どてら』に似た着物を着た若者の一行を見て何処の国から来た人か聞いて『ブータン』を知りました。それ以来『魅せられた国』ブータンへ1984、1990、2008、2010年と訪れました。この時に撮ることのできたブータンの『ハレ』の見られる祭礼の写真でこの写真展を組み立てました。」

 これはギャラリーの入り口のパネルの中の作者のご挨拶です。長年のお付き合いなのに、そんな計画を饒舌に語るのでもなく、自分の「やりたいこと」のためにコツコツと歩を進めてきた友を誇らしく思います。批評をしたり、愚痴をこぼすのは簡単です。けれども、そうした人たちのいったいどれほどが、自分の思いを何らかの形にしているでしょうか。

 残念ながら写真展は本日まで。子供たちの笑顔を見るだけでも価値があります。いえ、子供たちばかりではありません。大人たちのたたずまいだって、とうの昔に私たちが忘れてしまった何かを思い出させるようです。

 今年は叶いませんでしたが、ブータンはなるべく早いうちに行きたいと思っている国です。けれども、五木寛之さんが「ブータン百寺巡礼」の中でこんなことを語っているのを読んで、少々怖気づいていました。

「今回、ブータンに旅立つ前に、二つの目標を立てた。一つは、なんとか高山病をうまくかわし、体調を維持すること。ついでにトウガラシづくしの食事に慣れること。」

 たしかに、ブータンという国は、ただ一つの空港、パロでさえ標高2300メートル。しかも、この山国では、この程度では高地にも入らないらしいのです。五木さんが続けます。

「それでも、標高が低い日本から来ると、2300メートルでも確実に酸素は薄く感じられる。気圧はかなり低そうだ。ふらつく足を踏みしめてターミナルに入ると、、、、」

「思わず早足になったとたんに、ふわっと上体がゆれた。こころなしか頭がぼうっとなるのを感じる。呼吸が苦しいほどではないが、なんとなく手足がだるい。」

 そうして高山病についてさんざん脅かされ、「高山病は死に至る病である。」などと言われると、正直なところひるむ気持ちが頭をもたげてきます。昨日、そんな不安を伝えたら、四捨五入すれば80にもなろうという写真家に叱られました。

「何言ってるのよ。ワタシなんかニトロを首から下げる身なのに、4回も行ってたんだから。やりたいことはやらなきゃ。行きたいところは行くことよ。ワタシ、まだまだ行くわよ。」

 とうとう本日が最終日になってしまいましたが、もし銀座方面にいらっしゃる方がおいででしたら、ぜひお立ち寄りになってみてください。それだけの価値はあります。

「ブータン~祭りと人と~」
田中登代子 写真展 (無料)
2011年10月31日~11月5日 10:00~17:00
ギャラリー・アートグラフ (中央区銀座2-9-14 写真弘社フォトアート銀座内)
Tel. 03-3563-0372

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10月30日(日):マダム・リーの魔法の手さばき~手打ちパスタ
11月 1日(火):食いしん坊さん用手打ち麺 木こり風
11月 2日(水):うるわしの金目鯛蒸し焼き
11月 3日(木):ほくほく秋の収穫祭デザート
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 11:42| Comment(0) | 友人

2010年12月05日(乙4の87)

 

「のぼせ」のネリーナの涙

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 赤いふちの目がねをかけて、おかっぱ頭のネリーナが、ルイージと一緒に、ノッシノッシと歩いてやってきました。かかえきれないほどの大きな花束を持って。

「ナオミ、ほらもっと近づいて匂いをかいでみて。ね、ね、ウットリしない?
 ヒヤシンスよ。春みたいでしょ。」

確かに、懐かしい春の香りがします。けれどもこの仮住まいの家には、こんなにたくさんの花を活ける花瓶もありません。唯一あるものは、もうすでにネリーナとルイージを迎え入れるための花々によって占領されています。でも、台所には大鍋があります。たとえ何にさしたって、水さえあれば美しさは変わりません。香りだって変わりません。

 夫とは長年の友人である彼女に初めて会ったのは、前回のミラノ到着の翌日、今から50日前のことでした。出会った瞬間に、特別な何かを感じるのは、何も男と女の中に限ったことではありません。私たちはこの50日の間に、まるで5年もたったように、心を許す友になりました。

 ネリーナ、52歳。ミラノ大学法学部の教授です
夫のルイージは72歳。フィレンツェの大学の教授にして詩人です。
ネリーナには双子の大学生の息子と娘がいます。けれども、彼らの父親はルイージではありません。だって二人が結婚したのはつい数年前のことなのですから。

 男どもが居間でワイングラスを片手に「Men’s talk」を楽しんでいる間、ネリーナは頼みもしないのにキッチンにやってきて、私の横にはりついたまま、油が跳ねるのを厭いもせずに天ぷらを揚げる手伝いをしてくれます。初めての料理を前に、次から次へと質問が飛んでくるのを、私はひとつひとつ丁寧に答えていきます。だって彼女の料理への関心と腕前は、すでによく知っていることでしたから。

 ディナーの準備が整うまでの間、私たちは時には料理の手を休めて、真剣に向かい合って私たちの人 生を話し合いました。ネリーナは今、大きな壁にぶちあたっています。52歳と言えば、そろそろ女性の体の変調の時。夜中に何度も目覚めて眠れなかったり、冬の最中に汗をかいたり、仕事や家族のことを考えて突如精神不安に陥ったり、、、、

 裏表なく自分の考えをスパッと述べる彼女は、時として大学の同僚との間に諍いを起こします。政治的な動きが得意なわけでもなく、仮に得意でもそうはしたくない彼女にとって、時として仕事の場は針のむしろになります。業績をあげればあげたで、またしてもそれが妬みの対象になったりするのは、どこの世界でも同じです。

 これまでの彼女ならそんなことは蚊に刺されたぐらいのことで終わってしまったのでしょうが、心身の節目の中にいる今の彼女にはそれらのことが思いのほかこたえています。目下、彼女は高いお金をはらって、セラピストのもとに通っています。

 幸い、全くと言ってよいほど何の症状もなく、その特別な時期を越えてしまった私には、彼女の痛みに対して適切なアドバイスをすることもできません。できることはただ1つ、私よりもずっと大きなネリーナのからだを抱きしめてあげることだけです。そして、「いつか」を語ることだけです。

「思えば私たち、ワーキングマザー、ワーキングワイフはずっと休む間もなく働いてきたよね。
でもね、もう1回生まれ変わるとしても、やっぱりこの道を選ぶような気がしない?
いつかきっと楽になる日が来るよ。そうしたら、ねえ、ネリーナ、一緒に旅行しない。
となりでタバコ吸ってもいいよ。日本の温泉でまったりしてみない?『いろんなことがあったねえ。』なんて話しながら。」

 すると「のぼせ」のネリーナはキッチンの窓を全開にして、ハラハラと涙を流し始めたのでした。男勝りのネリーナに涙なんてまるで似合わないものでしたけれど、それがまた可愛くて、再び抱きしめてしまいました。

「学会があって、明日7時に出てパリに行かなきゃいけないの。帰って来たら今度は1月のサンフランシスコ会議のための資料を作らなければいけないし。いつもいつも何かに追いかけられている。夫のことも、子供たちのことも、猫たちのことも心配でたまらないのに、、、、でも、そんな『いろんなこと』がいつかはみんな『過去』になって懐かしくなるのよねえ、きっと。温泉連れてってくれる?

 男どもが戻ってきて、私たちの天ぷらディナーが始まりました。楽しい時間の後に二人を見送ろうとエレベーターを待っていると、ネリーナに怒られました。

「まったくナオミったら、見境もなくそんな半袖姿で飛び出してくるんだから。」

 そして彼女のフワリとした毛皮のコートにくるまれました。今度はネリーナが私を抱きしめる番でした。

 明日から4日間は、シエナとフィレンツェです。
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12月6日(月)予告:才女は料理上手なり~ネリーナの場合


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ナオミライクな日々(乙4の88)

2012年10月28日

 

Autumn in DC

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だいじな用事があって
ダウンタウンまで車を走らせたら
どこもかしこもやっぱり秋でした。

ポトマック川沿いの道も
国会議事堂とワシントン記念塔を結ぶモールも
ホワイトハウスもタイダルベイスンも。

カトリック大学から続く道を歩けば
気の早い葉っぱたちが
時折ひらひらと頭の上に舞い落ちます。

ランチに寄ったのは
秋色住宅街の中の一角
ピザが有名なカジュアルレストラン。

外になさいます、それとも中で?
とたずねられて私たちが選んだのは
外に一番近い中 窓に向かったカウンター。

外テーブルではおとなの女性がひとり
秋の柔らかな光の中で
一心に編み棒を動かしています。
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ビールが運ばれても手を休めずに
ピザが運ばれても
もう少し、もう少し、きりのいいところまで、と。
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ジャズピアノを習っていた頃に
ひきたい曲がいくつかあって
そのひとつが「Autumn in New York」でした。

最初の4行だけは今でも口に出てきます。

Autumn in New York
Why does it seem so inviting
Autumn in New York
It spells the thrill of first-nighting

ニューヨークの秋はどうしてこんなに心をときめかすのだろう
まるで初日の舞台を迎える時のように
と、大都会の秋を歌った曲。

この町もまた
Autumn in DCと歌いたくなるほどに
今、美しい秋です。

By 池澤ショーエンバウム直美

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10月27日(土):ワシントン最初の夜は手抜き日本食
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 23:47| Comment(0) | アメリカライフ

ナオミライクな日々(乙4の89)

2012年12月03日

 

それぞれのドミンゴ それぞれの幸せ

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日曜日(ドミンゴ)のバレンシアは、とりわけ明るいお日様の光に溢れました。コートをはおった人たちの中に、半袖姿もショートパンツ姿も入り混じります。レストランやカフェは外テーブルから埋まります。

今日からまた1週間、車を借りました。そして、光の中をバレンシアから北へ約1時間、コスタ・ブランカと呼ばれる海岸線沿いを走りました。目的地は、かつてはローマ帝国の町として発展し、今なお当時の壮大な遺跡を擁するサグントの町です。

夜の予定がありましたので早めに戻り、バレンシアのレストランでゆっくりとランチタイムを過ごせば、ひたひたと押し寄せるサグントの余韻が、心をふんわり漂わせます。そして、たまたま選んだレストランで流れるドミンゴの時間が、なんだか特別幸せに思えます。

ドミンゴのランチタイムはいつにも増した賑わいと、いつにも増した華やぎを見せています。それぞれのストーリーを背負った人たちが、いろいろな形の幸せでドミンゴの時間の中にいるようです。

大きなテーブルを囲む8人は、父親と母親と二人の子供、ひとりはまだ赤ん坊です。そして、彼らを囲むようにして、二人のグランパと二人のグランマがいます。泣き出した赤ん坊をみんなであやしたかと思えば、向き合った人たちや、隣り合った人たちが、それぞれの会話を楽しんだりもしています。

正方形のテーブルに向かい合った初老の男女は、長年連れ添った夫婦だけが持つ落ち着いた余裕の中で、静かに会話を続けます。ご婦人の首からかかる長いパールのネックレスと男性の首のネクタイは、ドミンゴだからでしょうか。

かと思えば、隅っこのL字型の席ではお年を召した男性がひとり、背中を丸めるようにしてフルコースのお食事を召し上がっています。ひとつお皿を終えると満足げにナプキンで口をぬぐい、次のお皿を待ちます。

若いカップルと母親の3人が囲むテーブルもあれば、父と娘が向かい合うテーブルもあり、女同志、男同士で興じるテーブルもあります。

ふわふわと漂う私は、大きなテーブルのグランマになったり、よりそう妻になったり、向かい合う母になったり、、、かと思えば、気心知れた友人たちの中にいたり、ひとりで静かに食事を楽しんだりもします。

ひとりだろうが、大勢だろうが、男と女であろうが、男同士、女同志であろうが、みんなそれぞれの幸せです。たとえ、長くは続かないものだって、たとえドミンゴだけだって、それらは幸せな、たいせつな時間です。

サグントの教会では、ミサを終えて出てきた男女5人がいつまでもたたずんで話を続けていました。私たちがコーヒーを飲んで戻ってみれば、まだ同じ場所に立って、楽しそうにおしゃべりをしています。

日常の生活からちょっとばかり解き放された自由な心は、いろいろな幸せの形を見つけます。

By 池澤ショーエンバウム直美

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12月2日(日):バレンシアと言えばやっぱりパエリャ
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 14:14| Comment(0) | スペインライフ

ナオミライクな日々(乙4の90)

2010年08月02日

 

祝福されたベビー

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 昨日、車で1時間ほど走った郊外の大きな家で、2月に生まれたばかりの小さな男の子の洗礼パーティーが行われました。すでに儀式をすませてきたベビーは、初めての経験に疲れたのでしょうか、母親と一緒にソファーの上で眠り、その周りを取り囲んで、客人たちが談笑します。

 大きな家の大きなサロンは誰もいないプールへと繋がっていて、もう一方の窓際に置かれたテーブルにはたくさんの料理が並んでいます。大きな四角いケーキには白いクリームが塗られ、その上には、マジパンで作られた、ベビーが今すぐにでも履けそうな黄緑色の小さな靴がチョコンと載っています。

 誰もが小さな命の健やかな成長と幸せを願う、善意に満ちた平和な時間と空間です。

 ちょうど2年前の夏、私たちはベビーの両親の結婚式に出席しました。
 そして、ちょうど1年前の夏、私たちはベビーの両親の新居で行われた、結婚1周年の盛大なバーベキューパーティーに出席しました。その時、すでにベビーはママのお腹の中にいたのです。

 それから何が起こったのかは誰も知りません。
 いえ、ごくわずかの人たち以外には、と言った方がより正確でしょう。

 その話を伝え聞いた時、私たちは口々に、「いったいどうしたんだろう?何があったんだろう?」 と、若い母親とベビーを思い、心を痛めましたが、誰ひとりとして、根掘り葉掘り聞くような無粋なことはしませんでした。

 「よくよくのことがあったのでしょう。」
 「よくよく考えてのことでしょう。」
 「話したくなったら、きっと自分から話すでしょう。」

 と、起こったことを、みんな、そっと、そのまま、受け止めようとしたのです。

 ベビーがすくすくと母のお腹で育っている間に、両親は離婚をし、二人は二度と会わないこととなりました。そして、2月24日という輝かしい日に、希望という光に包まれてこの世に産声をあげた小さな小さなベビーは、生まれながらにして父親を知らぬ子となりました。

 母の胸から目覚めたベビーは、見知らぬ大人たちに囲まれて泣き声をあげるでもなく、大きな青い目で私たちを見まわして、文字通り天使のように無邪気に微笑みます。その花のような笑顔を見た時、そして、その笑顔につられて満面の笑顔を浮かべる大人たちを見た時、何だか起こったことの全てを受け入れたくなりました。

 昨日の洗礼で神の子としても受け入れられたベビーは、心あるたくさんの人たちに守られて、スクスクと成長していくに違いありません。そしてきっと、心ある大人になるに違いありません。

 ベビーのママも、ベビーのママの弟も、本当の姉弟ではありません。子どもに恵まれなかったベビーの祖父母が、小さい頃に二人を養子にとって、それこそ素晴らしい愛情をかけて育て上げたのです。

 この国では、白人の父母の子どもが黒い肌をしていたり、私たち日本人のようなアジア系の顔をしていたりすることも、全く珍しいことではありません。

 日本同様、どの国もいい所も悪い所も、好きな部分も嫌いな部分もありますけれど、こうした、ある種の懐の広さとでも言うものは、アメリカ社会の好きなところの一つです。

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グローバルキッチンお品書き 
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8月2日(月):私の秘密の楽しみ~Whole Food Market
8月3日(火)予告:Old Townの豪放磊落アイリッシュパブ
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 22:27| Comment(0) | アメリカライフ
セル1 セル2

ナオミライクな日々(乙4の116)

2011年08月07日

優しい風に乗って届く手紙たち


「忙しい!」なんて言うのはちょっと野暮じゃない?などとじっと我慢していますけれど、実は今ちょっと忙しい、そして、かなり消耗気味です。昨日の土曜日も朝から終日、都内某所の一室で、三人で顔を突き合わせていました。14日のチャリティーコンサートの進行の詰めと、台本の詰めです。

朝のコーヒーを飲みながら、期間限定東京暮らしのパートナーが言います。
「空海展に行きたい!」
私はまたしても、申し訳なさでいっぱいになって答えます。
「ごめんなさい。今日も一日中打ち合わせがあって出かけられないの。来週必ずどこかで行きましょうね。」

「港北から東北へ~思いは音にのせて」チャリティーコンサートの開催も、いよいよ1週間後となりました。できるだけ経費を節約して、できるだけたくさんの支援金を現地にお届けするために、みんなで一生懸命動いています。

先週も大変でした。「明日の4時までに入稿すればプログラムが安く印刷できるけれど、その後になると値段が上がってしまう!」と、デザイナーのゲンちゃんが大慌てで仕事を進めます。私も足りない情報を集めます。ポスターを貼ってくださったり、ちらしをたくさん置いてご協力してくださった所のお名前も記載させていただきました。ボランティアを申し出てくださった、たくさんの方々のお名前も列記させていただきました。

やっとここまで歩いてくることができました。
そして今、毎日のように優しい風が運んでくれるお便りに、泣くことが多くなりました。
できればまとめて泣いてしまおうと、なるべくお化粧をする前に泣くようにしていますが、そうそううまくはいきません。最近の私の顔は、疲れ+寝不足+マスカラにじみ の三重苦。ひどいものです(笑)。

たとえば昨日、出かける直前に届いたファックス。
1989年、私が大学に転職をすることになって、どうしても車での通勤が必要になった時に、思い切って通った教習場で出会ったフサコさんのものでした。毎年の年賀状の往復だけで、一度としてお会いしたこともないのに、なぜか忘れられない、同年配の美しい人でした。たまたま横浜にお住まいだったので、お手紙と共にコンサートのちらしをお送りしたのです。手書きのファックスには丁寧な字でこう書かれています。

「お手紙ありがとうございました。私どももあの地震以来心を痛めております。私など何のお役に立てず申し訳ありません。せめて、もし、パンフレットがあまっておりましたら、知り合いに送りたいと思います。10枚ほど送っていただけないでしょうか。

私は、あの日、3月11日に乳癌の診察に東京の病院へ行っていました。やっと名前が呼ばれて診察室に入ったとたんにグラグラと揺れ始めました。ものすごい揺れでした。その日はすべて電車はストップ。横浜へ帰ることができず、病院のソファーで一晩明かし、翌朝帰宅しました。

案の定、乳癌で、4月11日に入院、全摘をしました。現在は元気になってまいりましたが、リンパを取りましたので怪我と風邪をひかないよう気をつけております。」

そんなフサコさん、この22年間一度もお会いすることもなかったフサコさん、しかも闘病中の彼女が示してくれた思いに、いったい泣かずにいられましょうか。

私はすぐさまファックスでこんな手紙を送り返しました。

「たまたまご一緒に運転を習って以来、早22年。その間にお会いする機会もないままに、私たちはそれぞれの道をつまずいたり転んだりしながら、一生懸命歩いてきました。お気持ち、ありがたくてなりません。ご自身のおからだのことだけでも大変でいらっしゃいますでしょうに、こうして他者のことをお気遣いになってくださる、、、、

今日もこれから終日、コンサートの台本作りに出かけます。めったに東京に居ない夫に何もしてあげることもできず、疲れとプレッシャーで時折つぶれそうになります。けれども、私がそんな愚痴をこぼしていたらバチがあたります。フサコさん、これから郵便局の本局に行って、案内を10部速達でお送りします。

どうぞおからだをだいじになさって。
いつかあまりおばあさんになる前に、一緒に高速ぶっ飛ばしましょうね!」

「帰省中で行かれないけれど」「予定があっておうかがいできませんが、気持ちだけでも参加させてください。」「これは私たちの職場の人たちからの応援です。」「切符代を送ります。お釣りはいりません。」などなどと、泣かせるお金が封筒の中に入って届けられます。

すぐ隣の若い4人家族は全員で来てくださいます。「暑い中すみません。」と言えば、涼やかな顔をした素敵な若奥様が言ってくれます。「とんでもない、みんなで楽しみにしてるんですよ。帰りに中華街で食事して帰ろうねって。」

まだまだとてもご紹介しきれませんが、昨夜遅くに帰って郵便箱に見つけた、こんもりとした濃い黄色の分厚い大きな封筒の話で、とりあえず本日は閉めることといたしましょう。

差出人の名はありません。あまりにこんもりしすぎています。明らかに何かが入っています。しかも手触りからして尋常でない何かが(笑)。開けるのを手伝おうとする夫を脅しました。「気をつけて、爆弾が入っているかもしれないから。」

中から出てきたのは、手作りの梅干と、被災地のこども80人の作文集「つなみ」(文藝春8月臨時増刊号)でした。これはもう、覚悟しなければ読めません。一字一句を真剣に読みたい言葉たちです。それでも表紙に映っている7人の子どもたちの笑顔の何という明るさ!

そして送り主は、なんと、長女がお世話になっていた大倉山保育園の保母さんだったのです。しかも昼間の保母さんではなく、時間外保育の保母さん。娘の年から考えても、もう随分のお年になっていることでしょう。この方とも、東京に引越しして以来、もう30年もお会いしたことがありません。爽やかな空色の2枚の便箋に、流れるような文字で書かれています。

「本当になつかしいですね。○○ちゃんのなんてかわいらしかったこと!あっという間に時間は過ぎていきます。大震災はXXの生家が宮城県ですので、他人事ではありませんでした。大倉山でも立っていられない位に揺れたのです。宮城とは4日間連絡がつかず、5日目にようやく連絡がとれて、家も人も無事でほっといたしました。

原発事故もあって、3月11日から5ヶ月、この国がどうなっていくのかがわかりません。政治は丸っきり駄目ですし、ただ、私たち普通の日本人の持っている力だけが頼りです。

同封の『つなみ』は私がとても感激した本です。どうぞご覧になってください。梅干は、庭の一本の梅の木に60キロの実がなりました。不ぞろいでこわれたりもしていますが、無農薬、無消毒です。この暑さに負けないよう、ママも○○ちゃんも頑張ってくださいね。当日のコンサートには、ジジもババも応援に行きます!!」

いけない、いけない、また目の前が霞んできました。
今日は葉山で甥っ子の結婚式。パンダ顔では出席できません。
まずは泣くだけ泣いてしまってから化粧を始めましょう。

皆様、優しいお気持ちを届けてくださり、本当に本当にありがとうございます。
どんなに励みになることでしょうか。
疲れた!なんて言ってる場合じゃありません。

By 池澤ショーエンバウム直美



しばらくはこのバナーを置かせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。何せ人手不足です。司会も私が勤めさせていただきます。
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8月2日(火):自宅がお鮨屋さんに早変わり その1
8月5日(金):大将、その大トロ握ってくれる?~自宅が鮨屋に2
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 10:12| Comment(0) | 地震